平野照之先生のウェブサイト DR.TERUYUKI HIRANO'S WEB SITE

就任のご挨拶

はじめに

2014年9月1日付けで、杏林大学医学部脳卒中医学教室の教授職を拝命しました。本邦で2番目の脳卒中に特化した新しい教室の開講であり、身に余る重責ですが、専心努力する所存です。熊杏会の皆様には、これまでのご厚情に感謝申し上げますとともに、今後ともご指導ご鞭撻を宜しくお願いいたします。

自分史の恩師のお名前

私は昭和37年に熊本県宇土市で生まれ、県立熊本高校から熊本大学医学部へ進学しました。高校までは音楽部(グリークラブ)に所属していたのですが、何を血迷ったのか、熊本大学では医学部サッカー部に入部し日々、練習や試合に明け暮れました。全くの素人でしたが、いつの間にかサッカーの魅力に取り憑かれてしまい、杏林大でも早速、サッカー部の部長を拝命しました。私が現役の頃、熊医サッカー部は50人近い部員が在籍する大所帯で、様々な個性をまとめ、意見の違いを乗り越えて1つの目標に向かっていくことの大切さやノウハウについて身をもって学ぶことができました。今回の杏林大学人事にも、サッカー部の人脈が少なからず役立ったことを申し添えておきます。

昭和63年に熊本大学医学部を卒業し、荒木淑郎先生が主宰される第一内科へ入局しました。大学病院では同期10名と一緒に、神経病、呼吸器病、消化器病について、済生会熊本病院(当時、熊本市段山町)では循環器病について研鑽する機会を得ました。内科全般の研修を通じ、学生時代から神経内科に興味を持っていたこと、病状がダイナミックに変化する循環器疾患のスピード感が、自分の性格にあっていたこともあり「脳卒中を専門とする神経内科医(Stroke Neurologist)」を目指すことを決意しました。熊本高校グリークラブでも先輩にあたる橋下洋一郎先生(現:熊本市民病院主席診療部長)が身近な素晴らしいロールモデルでありました。平成3年から国立循環器病センター(大阪府吹田市)へ国内留学し、山口武典部長(現:名誉総長)、峰松一夫脳循環研究室長(現:副院長)の薫陶を受けPETを用いた脳循環代謝研究の手ほどきを受けました。当時、レジデントとして切磋琢磨した仲間たちは、今では全国でオピニオン・リーダーとなっており、この人脈は私にとって大きな財産です。

平成7年、内野 誠先生を初代教授として開設された熊本大学神経内科では7人の創設メンバーの一人に加えていただきました。翌年にはメルボルン大学 National Stroke Research InstituteでDonnan GA 教授(後にWorld Stroke Organizationの初代理事長となる)へ師事しました。そこで新規のPETトレーサー(虚血組織を選択的に認識する18F-FMISO)を用いた急性期脳卒中の研究に従事し、あわせて脳梗塞急性期画像の詳細な解析法についても身につけることができました。母教室には人員が少なく診療業務に多忙を極める中、留学を認めていただきました恩師の内野教授をはじめ当時の教室の皆様には心より感謝しています。
熊本大学には平成24年まで在籍し、その後、大分大学医学部の勤務を経て、今回、杏林大学医学部に招聘していただきました。

杏林大学のご紹介

杏林大学病院は、東京都のほぼ中央部に位置する北多摩南部医療圏(三鷹市・武蔵野市・府中市・調布市・小金井市・狛江市の六市からなる二次医療圏)にあります。役100万人を要する人口密集地域であること、さらに隣接区(杉並区、世田谷区)からの搬送例も多いことが特徴です。都内でも特に高齢者が多く居住しており、それに伴い医療需要も極めて高い地域です。よく「高齢(化)社会」という言葉を耳にしますが、国連の定義によると65歳以上人口割合が7%を超えると「高齢化社会」、14%を越えると「高齢社会」、22%を超えると「超高齢社会」と言うそうです。本医療圏の高齢化率は2035年に30%に到達すると見込まれています。

年代別に診療態勢整備は、日本の最重要課題の1つと言えます。要介護の要因には種々ありますが、何と言っても脳卒中を原因とするものが、前期高齢者の40.0%、後期高齢者でも16.6%を占めるためです。今後、人口減少傾向に転じる日本にあって、これから20年わたって北多摩南部医療圏の人口は減ることがなく、全国に先んじた「超高齢社会」のモデル地域となることは想像に難くありません。

こういった医療ニーズに応えるため、杏林大学では2006年5月に脳卒中センターを開設しました。それまで縦割りで行われていた脳卒中診療体制を大きく変革し、脳卒中医(神経内科、脳神経外科、リハビリテーション科)、専門看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、薬剤師、医療ソーシャルワーカーからなる診療チームが、診療科の垣根を超えて「断らない、笑顔を忘れない」という理念に基づいて活動しています。現在は、神経内科医5名、脳神経外科医5名と非常勤医師で4チーム体制を敷き、年間500〜600の入院治療、rt-PA静注療法実施例数は年間30〜40例、施設基準を満たすSCU(9床)も備え、脳血管内治療専門医3名(うち指導医1名)も加わった「包括的脳卒中センター( Comprehen-sive Stroke Center)」として集学的治療を行っています。

既に国内有数の診療実績をあげていた脳卒中センターでありましたが、脳卒中医学教室(2014年9月1日開講)のミッションは、①国際基準に合致した脳卒中センターの運営と高度先進医療の提供、②若手の脳卒中専門医の育成、そして③国内外への情報発信、という診療・教育・研究のレベルアップであります。ようやく歩みを始めたばかりの教室ですが、毎朝8時からの新患回診、全職種合同モーニングカンファレンスを通じ、チーム全体で情報を共有した上で診療を行っています。まだまだ情報発信できるレベルにはありませんが、一例一例に自分たちのベストを尽くすよう、これからも仲間と頑張っていく所存です。

さいごに

生まれ育った熊本を離れ、今回、縁あって日本の首都に住むことになりました。部屋からは富士山や東京スカイツリーも眺望できます。とは言っても高層ビルの建ち並ぶ都心から、大学のある三鷹市まではJR中央線で小一時間という絶妙の距離感があります。裏通りには畑も多く残っており、自然と都会のバランスがとれた好環境です。住みたい街ランキング総合第1位に4年連続で選ばれた吉祥寺も近く、井の頭公園、三鷹の森ジブリ美術館、ゲゲゲの女房の舞台となった深大寺、など見所もたくさんあります。少しずつ家族とともに地域に馴染んでいきたいと思っています。

見知らぬ土地で新しい教室を立ち上げる難しさはありますが、今の気持ちは、世界に通用する理想の脳卒中センターを創り上げるべく「壮大な冒険の旅」に出発した、といった高揚感すら覚えています。どんな結末が待っているかは分かりませんが、目標を見失わず地道に歩みを進めていきたいと思っています。