朝日新聞朝刊 1998.10.03
糖尿病の人は国内に七百万人いるとされている。
自らの糖尿病体験を契機に『糖尿列島』(情報センター出版局)を書いた鴨志田恵一氏は、糖尿病が高度経済成長に伴って増加したことなどを、文明論的視点から指摘している。
糖尿病はストレスと密接に関連している。まず日常的なストレスが原因になる。病気にかかるだけでストレス指数は四十三点だ。糖尿病は生活習慣に関連した病気だけに、治療中のストレスは、より高い。さらに悪いことに、そのストレスによっても悪化する。
悪循環に陥りやすい病気であるから、患者はストレス対処能力を身につける必要性に迫られる。
糖尿病性腎症が腎不全になり、血液透析を受けている患者が増えている。一日に八キロから十キロ歩いて血糖値を下げ、ダイエットもしなければならない。たいへんではあるが、なぜ自己管理ができなかったか、悔やまれるケースもある。
先月世を去った巨匠、黒沢明監督の『生きる』(1952年)は、三十年間無欠勤の代りばえのしない「ミイラ」のような日常を送っていた志村喬演ずる中年公務員の、がんと知った後の生き方を描いた作品だ。家庭からも孤独とわかってもらえないと知った主人公は迷い、悩んだ末、一つでも自分なりのものを作ってみようと仕事に打ち込んだ。
願いを果たした後、雪の中のブランコで静かに楽しそうに歌っていたのが「ゴンドラの唄(うた)」だった。
人生の途上で出あうストレスをすべて回避するのは困難だ。多くの人に、糖尿病に上手に対処し、乗り越えていく人「グッドコーパー」になってほしい。
慢性疾患の治療医師が臨床心理士ら精神科スタッフと連携しながら、患者の心理面に配慮していく時期に来ているようだ。
朝日新聞朝刊 1998.10.10
現代人の手っ取り早いストレス解消法に、一杯飲んで愚痴るというのがある。自覚できるストレスは、これだけで相当に解消される。しかし飲酒の習慣化は危険だ。男ばかりか、最近はキッチンドリンカーという言葉もある。
ある主婦の例だが、夫は残業続きで、娘と二人きりの毎日を過ごしていた。夕食の支度をしながら酒の味を覚えた。最初はほろ酔いで幸せな気分だったが、午後七時ごろにはボトル半分くらい開けるようになった。たまに夫が早く帰宅すると、居間で大いびきという状況だ。
アルコール症はわが国で二百万人を越えるとされるが、十人に一人以下という説もある。健康診断でγ-GTPが100を超えたら危険信号だ。飲み過ぎると、しばしば睡眠を中断され、いびきをかいて無呼吸状態に陥る。「お酒って、ほんとーに怖いですねぇ」と淀川長治氏流に言えそうな映画が『男が女を愛する時』(1994年)だ。主演はメグ・ライアン。父親がアルコール症だった彼女は、パイロットの夫と可愛い娘二人に囲まれながらも、ウォッカをラッパ飲みにするようになる。夫役は『ゴッドファーザーPARTIII』のアンディ・ガルシアだ。
幾度となく断酒を決断し、自宅前のごみ箱にウォッカを瓶ごと捨てるが、また引っ張りだして飲む。次第に家事も育児もできなくなり、ついに精神病院に入院する。
離脱症状と闘い、決意を固めるために断酒グループで飲酒歴を語り、やがて退院する。しかし、まだ夫に理解されていないと、いらいらする日が続く。夫も家族の会に参加する。最初は抵抗を感じて席を立つが、やがて自ら苦悩を語り出し、妻のさみしさを知る。辛抱強く支えた夫の姿が感動的な作品だった。
ところで、メグ・ライアンは『フレッシュ・アンド・ボーン』でも、格好いいラッパ飲みを見せていた。本物のお酒好きなのかもしれない。
朝日新聞朝刊 1998.10.17
国内に150万人以上の患者がいると言われるてんかんは、神経の病気で、現代では精神疾患から除外されている。かつては精神病とみなされていたが、それにしても、けいれんや意識を失うのが、なぜ精神病だったのだろうか。
かつて、こころの病を、意識の病と人格の病に二分する考え方があって、てんかんは意識の病の代表とされた。人の脳波を発見したのはドイツの精神科医で、神経内科が独立する前は、精神科がてんかんを診てきた歴史も関連している。
しかし、現代では小児科や神経内科、脳外科で治療され、精神科の関与は少なくなっている。発作中に幻覚や妄想を呈したり、極度な不機嫌や興奮を示したりした場合に診ることがある程度だ。
医師は臨床発作と脳波などの検査所見から、薬物療法や、時に脳外科的治療を勧める。薬で発作が完全にコントロールされるとは限らない。
学童期から薬を飲み始め、場合によっては一生飲み続けることは、患者さんにとって大変なストレスである。
服薬が嫌で、夜中に家を飛び出して酒を飲んだり、どうなってもよいと絶食を続けたり、病を受容できない患者さんもいる。
昨年の映画に「何より害をなさぬこと」という原題で、なぜか『誤診』と訳された作品がある。てんかんの幼い息子のいる家族が難治を克服する家庭を描き、メリル・ストリープが息子のために一心に奮闘する母親を演じていた。
公認されていない食餌(しょくじ)療法を行っているジョンスホプキンス大の治療チームや患者の協力で作られた映画だが、一流女優が出演し、てんかんで苦しむ人々にエールを送った点に注目した。
てんかん患者の家族の苦悩は並大抵ではない。映画でも治療効果が出ないときの医師への不信感がリアルだった。私もやぶ医者としかられたことが何度もある。医師の原点を教えられた作品だった。
朝日新聞朝刊 1998.10.24
「眠れない」と精神科の外来を訪れる人が増え、睡眠薬の銘柄さえ指定してくる人もいる。日本人の四人に一人は不眠に悩んでいる。
日の出とともに目覚め、日が暮れると眠りを待つ。そんな自然な暮らしを、現代社会は許してくれない。仕事に遊びに、睡眠時間は無駄なもののように奪い去られている。
不眠は中高年の女性に圧倒的多い。寝つきが悪く、夜中に何度も目がさめる。ちっとも眠った気がしない。日中も別に眠くもないし、生活に支障はないが、眠れないのが怖いのだという。体質的不眠症といってもいいが、実はさまざまな不満や悩み事が背景にあるケースが多い。
安眠まくらに安眠羽根布団、ラベンダーの香りにモーツァルトの音楽までそろえ、万全の態勢でベッドに入っても、だめなときはだめだ。
映画『眠れない夜はあなたと』(1994年)は、どうしても眠れない男と女が、ドラッグストアで一箱だけあった睡眠薬を取り合う出会いの場面から始まる。二人は上院議員選挙の対立陣営のスピーチライター同士。グラマラスなジーナ・デイビスと、案外まじめなマイケル・キートンが、お互いを思ってますます眠れなくなり、やっと恋がかなって安眠できるというラブコメディーだった。
しかし、最も多い不眠症の原因は、痛みやかゆみなどの身体病である。次がうつ病や不安病などの精神疾患。次に「ただ眠れない」という純粋な睡眠障害がくる。何年にもわたって不眠が続くと、苦しくて自殺を考える人もいる。
眠れないと交感神経が活発になる。ストレスが不眠を呼び、不眠がストレスになるという、不眠と不安の悪循環が形成される。それをどうやって断ち切るかが問題だ。
日中に自然光を浴びることや、規則正しい食事、運動で適度に疲れることも大切だ。睡眠学の教科書には、ベッドでは睡眠とセックス以外はしないようにと書かれている。
朝日新聞朝刊 1998.10.31
百万人をはるかに超えるといわれる米国のホームレスには、統合失調症が多いと報告されている。ケネディ大統領時代の1963年、五十一万床だった精神科のベッドがいきなり五分の一に削減された影響がまだ残っている。
施設への長期収容の弊害を批判する運動と、政府の医療費削減策があいまった結果だった。いったん始まった政策は後戻りしなかった。
日本でも「鳥には空を、魚には水を、人には社会を」という詩がスローガンになった。精神病患者が意欲を失って一生を病院で過ごすより、地域で生き生きと暮らすべきだという趣旨だった。
映画『聖者の眠る街』(1993年)は、そんな脱施設化後の都市を描いている。統合失調症で退院したばかりのマッド・ディロンは、暮らしていた廃墟ビルが取り壊され、巨大な体育館のような宿泊所に収容されるが、路上で車のガラスふきをしてチップをせびりながら、街で寝泊まりするようになる。
悲しみを内に秘めた聖者のような表情で、フィルムの入っていないカメラを手に、ホームレス仲間に向かってシャッターをきる。ときに示す無理に作ったような笑顔が忘れられない作品だった。
統合失調症は病状が安定するまでに五年、十年とかかる。退院して競争的社会に参入するストレスは大きい。二十四時間の手厚いケアを受けていたのが、服薬も食事も身の回りの細々したことも、一人でやらなければならなくなり、急激な自立を強いられる。
統合失調症患者の社会参加は、もとより施設を減らしただけで進むものではない。国内でもようやく援護寮や福祉ホームなどが出来はじめた。単身アパートや共同ホームへの自立退院や、退院後を考えた居住環境づくりも少しずつ進められている。しかし、まだ周囲の理解が十分とはいえない。
個々の患者に応じたきめ細かい援助が求められているのだが……。
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