朝日新聞朝刊 1998.12.05
酒癖の悪い父親に幼いころせっかんを受けていた少年は、我慢強く耐え、水泳教室に通って、選手になろうと頑張っていた。高校に入ると、友人から夜遅く、ゲームセンターに誘われるようになった。断れない性格で、飲酒、喫煙も始めた。
学校や水泳より面白い世界を見つけて、夜が楽しみでたまらなくなった。いつの間にかシンナーも吸い始め、寝ないで遊び通すために覚せい剤にも手を染めた。
担任教師の勧めもあって精神科を受診したが、一週間分の薬を一日で飲んでしまったりするので、薬物依存と診断された。どこのクリニックでも薬を渡されなくなり、最後は覚せい剤とアルコールで、心身共にボロボロになった。
映画『バスケットボール・ダイアリーズ』(1995年)は、実話に基づく作品で、青少年が麻薬で汚染される深刻な米国の恥部を描いている。
主演のレオナルド・ディカプリオが、高校のバスケット選手を演じる。ちょっとしたいたずらが非行に、非行は覚せい剤中毒に、覚せい剤を買うためのひったくりは強盗へとエスカレートする。
バスケットを通じて知り合った中年の黒人男性が家に連れ帰り、離脱症状で苦しみ、すがる彼を辛抱強く支える。薬物依存症の怖さと、離脱するまでの苦しみがたいへんにリアルだ。大スター、レオ君に麻薬撲滅キャンペーンをさせないといけないほど米国は病んでいるのかと、二重に悲しくなる作品だった。
犯罪白書によれば、昨年は少年の強盗が急増し、覚せい剤取り締まり法違反事件も増えた。
薬物依存は社会が病むと、さらに増加するため、病気とみられない傾向が強い。しかし、過食と同様にまずいストレス対処なのだ。やはりきちんと病気と認識して、薬物依存の治療施設に相談するように勧めたい。破壊されるのはかけがいのない一人の人間の人生なのだから。
朝日新聞朝刊 1998.12.12
超大国の大統領も「不適切な関係」で危うくなる時代である。配偶者に「バカタレ」と言われて愛想をつかされるだけですめば、大いに感謝するべきなのだろう。
不倫をした本人が、板挟みの葛藤(かっとう)で不眠や憂うつになって来院することがある。「苦しむぐらいなら不倫をするな」と言いたいのだが、ことこの問題では途端に制御不可能に陥る人がいるのが現実だ。
なぜ現代に不倫が多いのか。精神科の同僚が立てた仮説がある。「現代社会は地位や名誉への階段が確立されていて、高校生くらいでほぼ先が見える。職に就いて求める冒険やスリルは、不倫くらいしかない」という見方だ。
不倫には構造的・持続的なものもあるが、多いのは機会性・一過性のものだ。仕事などがうまくいって気分が高揚しているとき、逆に心にすきまが出来たときが危ない。
映画『危険な情事』(1987年)は、仕事が好調で、一度か二度の遊びのつもりが、取り返しのつかない事態を招くケースを描いている。
自分は一度きりと思っても、相手は違う。マイケル・ダグラスが演じる弁護士は、その代償に自分と家族に降りかかる危険と悪戦苦闘する。グレン・クローズがホラー映画並みに怖い女を演じる。見れば不倫の恋も冷めそうだ。『失楽園』や『マディソン郡の橋』に共感する人も多いという。しかし、不倫は日常から逸脱した領域だ。それぞれの状況によってわき出すほんのわずかな羨望(せんぼう)、嫉妬(しっと)、憎悪、敵意などが、一気に破壊的行動に直結しやすい。そういう危険領域なのである。
不倫されて妻が怒るのは、健康な反応だ。ところが夫の不倫は、自分が至らなかったからだと落ち込む人もいる。不倫は、してもされてもストレスがたまるので、不倫しかえすのも逆効果だ。
落ち込んで来院する不倫の当事者に、どう対応するべきか。悩む人と悩まない人、どちらが健康なのかと考え込んでしまう。
朝日新聞朝刊 1998.11.28
生まれつきの障害のある子供のいる家族のストレスは並大抵ではない。身体異常に加えて精神発育遅滞(知的障害)があるダウン症などの親は、一度は親子心中を考えてしまうほど、深刻な現実を重ねる。
健康だった人が脳卒中で倒れ、半身まひになるなどの中途障害も含め、いったん障害を抱えると社会生活上の困難は急に大きくなる。
映画『ギルバート・グレイプ』(1993年)で、レオナルド・ディカプリオは知的障害の少年を演じている。
主演の兄役は、彼が今も兄貴分として慕っているジョニー・デップだ。レオ君は、高いところが好きで、町の給水タンクに登って何度も大騒ぎになり、ついに警官に身柄を拘束される。
夫の自殺以来の過食で「鯨のような巨体」になった母親が7年ぶりに自宅を出て、「私の子を返せー」と警察に怒鳴り込む。町の人たちの好奇の目にさらされながら、一家はレオ君を連れ帰る。
兄は妹たちと一緒に、そんな弟や母を「いつも悲しいのか嬉しいのかわからない表情」で支え続ける。
現状では、知能指数(IQ)80以下は病気とされ、60以下は知的障害とされる。20下がるごとに、軽度、中等度、重度と区分けされる。
中等度の知的障害とみられるレオ君が引き起こす「事件」といえば、タンク登り騒動ぐらい。捜査当局が手を焼く贈収賄や脱税などの「知能犯」とは根本的に異なる。彼のみせる人なつっこさや優しさに比べて、IQの高い人は得てして利己的で冷たい。
『ギルバート・グレイプ』には、障害者が社会で生きることの意味、家族の絆(きずな)、母の存在、兄弟愛、周囲の支えのたいせつさなど、多くを教えられる。
朝日新聞朝刊 1998.12.19
いまは多くの人が知る「燃え尽き症候群」は、米国の看護婦さんから始まった。神経筋疾患やがんなど、努力しても治せない病気と闘う医療スタッフはストレスが多い。
自殺率の高い職業は、警察官、弁護士、医師だという報告もある。裁いたり、処罰したり、生死に関わったりする仕事は緊張の連続だ。いくら仕事が生きがいでも、ストレスがこうじて高血圧や糖尿病になることも少なくない。
お盆やお正月、医師も休暇を取る。しかし、一週間も主治医が休みだと患者は不安になる。急性疾患なら救急システムやネットワークを完備すれば、二十四時間対応できるが、慢性疾患で主治医が決まっている場合の休診対策は、妙案がないのが現状だ。
休暇中の精神科医と患者の関係を題材にした映画がある。原題の直訳は『ボブ、一体どうしたの』だが、なぜか『おつむてんてんクリニック』 (1991年)というふざけぎみの邦題がついた喜劇作品だ。オスカー俳優のリチャード・ドレイファスが精神科医を演じる。
ドレイファスは、強迫性障害の患者であるボブを、友人の精神科医に頼んで、家族と二週間の夏休みに入る。
ボブは、いつでも、どこでも、なんでも、不安になると主治医に相談する。代わりの医者ではダメで、あらゆる手段を使って主治医が湖畔に家族と滞在しているのを突き止め、押し掛ける。
休みをおじゃんにされて、主治医はストレスがたまり、精神的にまいる。逆に患者だったボブは治って医学部へ進み、精神科医になるドタバタ劇だ。精神科医としては、とても笑って見てはいられない心境だった。
メンタルヘルスが重視され、精神科医が職場や学校に駆り出される時代だが、精神科医自身の健康も忘れてはいけない。
このエッセーの効き目は、お正月休みが明けて、検証されることになりそうだ。
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