朝日新聞朝刊 1999.1.9
成人式の振りそでの若者たちを見て、思わずため息をつくようになると「中高年」の仲間入りだろう。生あるものの必然である老いを醜いものと感じて沈み込む人がいる。一方、七十歳を過ぎても「バイアグラ」を欲しがる人もいる。老いもまた、ストレスの原因になる。
げっそりとやせて精神科を訪れたその男性は、世界を巡り、一代で富を築いた。幾人かの愛人もいて、「体がいくつあってももたない」と豪語したこともあった。健康管理にも万全を期していたが、肝臓がんが発見された。とたんに眠れなくなり、自殺も考えるほど落ち込み、一切が無価値に思えるようになった。
死を前に、若いころを振り返る老人を描いた映画は多い。『第七の封印』(1956年)で、ペストがまん延するさなかの人々の死への恐れを描き、神の存在について問題を提起したスウェーデンのイングマール・ベルイマン監督は、『野いちご』(57年)では老いをテーマにした。
医学に貢献した老学者が博士号取得五十年の記念式典に出かける日の朝、無人の町で自分の死体に会う夢を見る。飛行機で出かける予定を、自分の育った家や、医院を開業した土地を巡りながら行く車のコースに変更する。若者たちや中年の夫婦らにめぐりあいながらの道中に、若いころの思い出がよみがえり、現実と過去が交錯するベルイマン流のロードムービーだ。
ルネ・クレール監督も『悪魔の美しさ』(49年)で、ファウストとメフィストフェレスを登場させ、このテーマを取り上げていた。
老人は強い情動体験をともなう思い出に生きながら、現実と残り少ない未来を見つめている。老いの受容は、高齢化社会の重要な精神医学的課題でもあるのだ。
生と死という課題の極北に老いがある。人生は、威厳ある老いへの旅なのだろうか。
朝日新聞朝刊 1999.1.23
かつて内因性精神病といわれたうつ病は、ストレス社会も関連してこの三十年で六倍に増加した。近年は、何をもって内因性というのか再検討されている。
うつ病は、英語でディプレッションという。不況の意味もある。「ザ・グレート」がつくと1929年の世界大恐慌をいう。ブルーな時代だ。
景気も人の気分も、基準線を上回ったり下回ったり、似ているところもある。不況下でも景気予測には悲観と楽観があるのに対し、気分の方はうつになると悲観ばかりだ。なんとかなるとはとても思えず、自分が卑小に思え、自殺すら考えるから深刻だ。
陰うつさ、暗さ、悲しみを昇華させた偉大な作曲家チャイコフスキーも、うつ病だといわれる。英国の首相チャーチルもそうだった。
うつ病を描いた映画はみたことがないが、躁(そう)うつ病ならリチャード・ギア主演の『心のままに』(1993年)がある。
音楽大学を卒業した主人公は、気分がハイになって鳥のように空を飛びたいと、屋根の上を両手で羽ばたいて端まで歩く。ヒヤヒヤするシーンだ。それが一転、落ち込むと涙が止まらなくなる。精神病院の救急治療室で注射を受けたり、リチウムを投与されたりする場面がリアルだ。
主治医を『存在の耐えられない軽さ』のレナ・オーリンが演じ、発症の契機が大学時代の失恋にあることを突き止める。医者と患者が恋愛関係に進む筋立ては、現実感がないからか、鑑賞した患者さんたちにも不評だった。
作家、映画俳優、芸術家ら有名人のうつ病はけっこう多い。たいへんな仕事をするからうつ病になるというより、人生を長い幅でみれば、うつ病になっても偉大な仕事を成し遂げられたというべきなのだろう。
米国の大学には七年勤務すると一年フリーにするという制度がある。一生疲れず、休まず、元気に仕事を続けるほうが幻想なのかもしれない。
朝日新聞朝刊 1999.1.30
姑(しゅうとめ)の意地悪で眠れなくなった、と不眠を訴え、受診のたびに悪口をさんざんしゃべって、すっきりした表情で家路につくお嫁さんがいる。
きつい嫁のせいで同居が辛い。「家まで建ててあげたのに」と思うと寝つけない、と受診するお姑さんもいる。
メンタルクリニックは現代の駆け込み寺のようで、時代を映す鏡となっている。しかし、嫁姑の問題は、夫婦げんか同様に適切な助言が出来ないことも少なくない。
映画『タイタニック』で、お高くとまった貴族たちを前に、レオ君をサポートする成り金婦人を演じたキャシー・ベイツは『フライド・グリーン・トマト』(1991年)という奇妙な題の作品で、この「嫁」に匹敵する役を演じている。
キャシーは老人施設に入っている夫のおばを、半ば義務感で定期的に訪ねる。夫はテレビのスポーツ選手に夢中で、妻を顧みない。ストレスがたまってチョコレートバーを食べる。食べると太る。女性の自立教室などにも通ってみるが、ついチョコバーに逃げてしまう。
キャシーはふとしたきっかけで、オスカー女優のジェシカ・タンディ演じる入所中の老女の話に耳を傾けるようになる。その老女が「ミツバチに好かれる女」と呼ばれ、若かったころの南部の田舎町の物語だ。黒人差別や慣習にとらわれない自然人としての生き方を聞くのが訪問の楽しみになる。影響を受け、言いたいことを言ってみる。
しだいに夫と対等に渡り合える見違えるような主婦に成長していく。もともと、ふてぶてしささえ感じさせる執念、押しの強さを演じたらはまり役なのがこの女優だ。
血のにじむような忍耐と努力で家を支えてきた「おしん」世代の嫁が老人になり、戦後民主主義で育った嫁と折り合わなくなって久しい。
65歳以上の人口が3分の1を超えるとされる2020年を待つまでもなく、当事者にとっては大問題だ。
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