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ストレス手帳

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◆朝日新聞連載エッセイ「ストレス手帳」

快と不快を併せ持つ賭け事

朝日新聞朝刊 1999.3.6


 ギャンブルの魅力は、一夜にしてでも大金持ちになる夢が持てることだ。しかし、人は大金が入るとなぜか散財し、勤勉という文字が脳裏から消える。一度でも勝利の味を覚えると、年収の五倍、十倍と負けがかさんでも、いつか取り返せると、はかない夢を抱いて賭(か)け続ける。行き着く先は自己破産だ。
 実は、ギャンブル依存は快と不快の本能を刺激するので、アルコール依存、薬物依存や過食症などとの類似性も指摘されている。
 リチャード・ドレイファス主演の『のるかそるか』(1989年)は、庶民ギャンブラーの真骨頂を描いた作品だ。奥さんに見放される寸前のドレイファスは、もう賭け事はやめようと思い、ある日、最後の賭けに出て、競馬場に向かう。そこで大穴を二回当て、そして三回目に挑む。
 賭け事をめぐる人々の考え方の違いが面白く描かれている。市井の人々がささやかなお金で賭け事に興じているとことがほほ笑ましい。ところが金融証券会社の投機となると、そうはいかない。
 シティーを舞台にした英国映画『ディーラーズ』(89年)は、証券会社のトップディーラーが多額の損失を招いて短銃自殺する場面から始まる。その穴を埋めようと抜てきされたディーラーが、メリルリンチ社からスカウトされた女性とともに、のるかそるかのマネーゲームで会社を救う。しかし、心はぼろぼろ。二人で会社を去っていく。
 賭けは怖いと思わせながら、二作品とも、最後の賭けには勝つし、男女関係もハッピーエンドだ。映画の都合のいいところではある。
 心がすさむ恐れがなく、家庭崩壊を招く危険性がないなら、すでに賭け事ではない。賭けの魔力は、獣が獲物を追うように、生気をみなぎらせて立ち向かえることだ。
 もうけるためなら危険なこともしたい、平穏な暮らしは壊したくない。現代人は、この二律背反を抱えている。





熱意見せぬ友 揺らぐ医学生

朝日新聞朝刊 1999.3.13


 医学生のM君が、眠れないと相談に来た。二十代の若者が入眠障害に陥るには、よほどの葛藤(かっとう)があるに違いないと思って話を聞いた。
 M君は「みんな患者さんに貢献するために、真剣に学問に励んでいるに違いない」と考えて入学した。ところが周りにいたのは「プライドだけは人一倍強いくせに、平気で授業をサボり、異性遍歴を自慢したりする特権意識の権化のような者ばかり」だった。「こんな人たちに囲まれて、自分はまともな医者になれるだろうか。」そう思うと眠れなくなったというわけだ。
 M君は、幼いころから農作業を手伝い、種まきや収穫の喜びを知っている若者だ。異次元の世界でアイデンティティーが揺らいだらしい。
 映画『恋の闇(やみ) 愛の光』(1995年)は、貧困と飢餓に加えて疫病ペストがはやっていた十七世紀、清教徒革命後のイングランドが舞台だ。ロバート・ダウニー・ジュニアが演じる優秀な医学生は、チャールズ二世のペット犬を治療したことから気に入られ王宮に入る。 酒池肉林の味を知って、遊興生活になじみ、ついには王に追放される。
 ダウニーは医学生時代の親友を頼り、修道院を訪れる。そこでメグ・ライアンが演ずる産後のうつ病らしい女性患者と出会う。医師が患者と親密になることは当時でもタブーだったらしく、二人で修道院を出るが、メグは娘を産んで死ぬ。ダウニーは娘を連れて、献身的にペストに立ち向かう。その姿が再び王の目に留まり、許されて、王立病院の運営を任される。「気まぐれの恋は闇だが、真実の愛は光」という、医師の原点を教えられる作品の一つだ。
 この春も八千人近い医学生が卒業する。悪貨は良貨を駆逐するというが、M君のような人がストレスを感じてしまうのは倒錯した世界だ。優秀な頭脳に負けない豊かな愛情もはぐくんでほしい。
 ところで、M君の不眠は一週間ですっかり改善した。





躁うつ病患者らへのエール

朝日新聞朝刊 1999.3.20


  精神病と緑内障の二つの病気を抱え、事故で聴力まで失った四十代の男性患者が、根気よくリハビリに励み、二十年ぶりに社会復帰した。高齢の母親が「本当によくがんばってくれた」としみじみ語ったのに胸を打たれた。勿論励まされたのは家族や患者さんだけではなかった。
 映画史に残る名作『奇跡の人』(1962年・米)は、生後十九ヶ月で熱病のため盲、聾(ろう)、啞(あ)の三重苦を背負ったヘレン・ケラーの物語だ。
 ヘレンの家庭教師になったサリバン先生は、両親が「ペット」のようにかわいがるヘレンに、厳しく「人間」として接する。ヘレンは気に入らないことがあるとすぐに暴力的になり、サリバン先生と激しくぶつかる。
 ヘレンは、条件反射的に指文字で単語を覚えていくが、何を意味するのかわからない。そんなヘレンが井戸からくみ出される水に触れて「ワーラー(ウォーター)」と叫びながら、それまで覚えたのが、ものの名前だったと理解する場面は感動的だった。
 この作品でオスカーを獲得し、人気者になったパティ・デュークは、十八歳で躁(そう)うつ病を発症した。 パティはリチウムや抗うつ薬を服用し続ける長年の闘病を踏まえ、九二年に『輝かしい狂気ー躁うつ病を生きる』を米国で出版し、あくまで個人の弱さであって、病気ではないと思われていた躁うつ病患者たちにエールを送った。映画で演じたドラマを、自らの心の病で再現したとも言える。
 躁うつ病は才気あふれる人に多い。ハイになって張り切り過ぎると疲れて落ち込む。落ち込むと万能感に満ちたハイに戻りたがり、戻ると今度は遅れを取り返そうと焦る。この悪循環を断ち切るのが難しい。味気なくても、人生は細く長くがいい。
 ところでサリバン先生を演じたアン・バンクロフトのその後はいかに。五年後に公開された『卒業』で、あのミセス・ロビンソンを演じた。





伝わらぬストーカーの病理

朝日新聞朝刊 1999.3.27


 連日の手紙や電話攻勢、行く先々への追跡、はては無言電話と四六時中の過剰接近でストレスに耐えられなくなったある女性が、「このままでは殺される」と思って国外に脱出した。 良い伴りょに恵まれて帰国したところ、この男性から「なぜ好きでもない相手と結婚したのか」と詰め寄られ、また怖さがよみがえって、精神科にかかるようになった。
 ストーク(stalk)は「獣が獲物を捕らえようとして、そっと静かに忍び寄る」という意味である。心の病でも先進国の米国では、毎年かなりの数のストーカー裁判が起き、ストーキング防止法により、被害者への接近禁止令が出るケースが増えている。
 尾行、盗聴、脅迫から、障害やレイプに及ぶこともある。映画『ストーカー 異常性愛』(1993年・米)で、ブルック・シールズが追われる女性の恐怖を演じた。日本でも『ストーカー 逃げ切れぬ愛』というテレビドラマが話題になった。
 米国の司法精神医学論文によれば、ストーカーは性愛妄想を中心とする妄想性障害と、境界性人格障害とに二分される。だがストーキングの対象になるのは異性とは限らない。
 映画『ザ・ファン』(96年・米)は、プロ野球選手が大ファンである自分に感謝しないからと、ロバート・デニーロが選手の息子を誘拐し、ホームランを打って自分に感謝の言葉を表明しろと迫る恐怖と戦慄(せんりつ)の作品だった。
 ストーカーは極端に自己中心的で、相手の反応を自分に都合よくしか受け止めない。相手は変わっても似たタイプや同じ職業で、破壊的、操作的、陰謀的な行動に走る。現実検討能力に障害があるので、矯正は極めて難しい。
 男女の仲では、片思いの強烈な求愛に心をほだされたり、迫られる側が迫る側に情を抱いたりすることもある。それだけにストーカーの病理は第三者には伝わりにくく、被害者は心の負担が大きくなりがちだ。





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