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ストレス手帳

銀幕 こころの旅

シネマシリーズ

ちょっとブレイクしませんか



◆朝日新聞連載エッセイ「ストレス手帳」

銀幕の少年に見る自立の姿

朝日新聞朝刊 1999.4.10


  「なぜ僕を産んだのか」。三十歳の男性患者は母親に激しく詰め寄った。達成できない人生の惨めさを、親のせいにする甘えだった。子が真に自立するまで、母子関係はストレスの連続だ。しかも子側には、本当に自分を産んだ母親かどうか知るすべがない。
 胎内にいるうちから自我意識を持った赤ちゃんが、産道を経て人の世に出てくる衝撃的な映像の映画作品がある。赤ちゃんは出たとたんに母親を識別する。独仏合作の『ブリキの太鼓』(1979年)だ。
 舞台は1920年代と30年代、ファシズムの嵐(あらし)に翻弄(ほんろう)されるポーランドのダンツィヒ、「連帯」発祥の地とされる現在のグダニスクだ。主人公はオスカル少年。父親はナチスにすり寄り、母親は抵抗拠点であるポーランド郵便局で働く叔父と不倫を続ける。
 すべてに絶望したオスカルは、三歳で自らの成長を止め、体は子供のまま人生年齢を重ねる。怒りをブリキの太鼓をたたくことにこめ、奇声を発してガラスを割る超能力も発揮する。母の死後、家を出て小人のサーカスに加わり、ドイツ軍の前線も慰問する。
 やがてドイツ軍は敗退し、父親は死ぬ。二十一歳のオスカルは、父の葬儀の日に、墓穴にブリキの太鼓を投げ入れ、自らの肉体に成長することを許可する。
 二十世紀最大の悲劇の一つ、ナチズムによって抑圧されたポーランドの人たちを、オスカル少年の目を通して描いた作品だ。厳しい時代をコミカルなタッチで描きながらも、戦争や侵略が、人々のストレスを生む最大の要因であることが伝わる。同時に子が親の影響下にあるうちは、真の成長や発展は望めないことも描いているようだ。
 原作小説の作者、ギュンター・グラスは59年にこの作品を発表し、論議を巻き起こした。映画になるまで20年かかり、オスカーを獲得した。ナチズムに決着をつけるまでのドイツ文化人の地平も平たんではなかった。





不安・恐怖、薬で抑える時代

朝日新聞朝刊 1999.4.17


 ある大学の先生は、火の用心と戸締まりに関して、右にでるものがいないほど用心深かった。講義中に突然戸締まりが気になり、急いで家に帰って玄関のドアが閉まっているのを確かめたことがある。戻ると、講義の時間はとっくに終わっていた。幼少時に家が全焼し、新築した家に泥棒が入る苦い体験があった。
 石橋をたたくのはいいが、渡れなくなると、たとえ高い知性があっても、社会的不適応に陥ってしまう。こうした病理を脅迫という。
 昨年話題になった映画『恋愛小説家』は、恋愛小説の大家なのに、実際の恋愛にはからっきしのダメ男をジャック・ニコルソンが演じた。皮肉屋で毒舌、自分勝手で嫌われ者の中年男だ。
 不潔恐怖でシャワーを一時間も浴びる。一回使った固形せっけんはすぐに捨てる。戸締まりやスイッチを五回ずつ確認する。レストランにはスプーン、フォーク、ナイフを持参。歩道でも他人と接触しない。舗石の線を踏まない。他人の手が触れるドアなどには手袋をはめて臨む。
 几帳面(きちょうめん)できれい好きと言えば聞こえはいいが、実は不潔恐怖や疾病恐怖がある。潜在的には死を恐れているとも言える。
 だれしも死を恐れていないわけではない。汚いものに好んで触る人も少ない。しかし、完全癖も高ずると非生産的になる。強迫性障害は不安病の一種だ。こういう自己完結型のほかに、他者に依存して巻き込もうとする型もある。
 映画では、ニコルソンがこれではいけない、きちんと恋を実らせようと、薬を飲む決意をする場面があった。十年ほど前から注目されているSSRIという選択的セロトニン再取り込み阻害剤だ。
 人間性を失うことなく、脳に働く薬によって、不安や行動を抑えられる時代になってきた。マインドコントロールは怪しげだが、こちらはストレスマネジメントという。二十一世紀の注目分野だ。





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