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ストレス手帳

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◆朝日新聞連載エッセイ「ストレス手帳」

事故のストレス 家族にも

朝日新聞朝刊 1999.8.21

 仕事の後、ほろ酔い気分で家路についた会社員が駅の階段で転倒し、せき髄損傷の障害を負った。実直な性格で、鋭い頭脳の持ち主だ。好きな山歩きも、釣りもゴルフも出来なくなった。トイレや入浴も大変な苦労だった。本人ばかりか、奥さんや家族のストレスも大きかった。
 映画『ラリー・フリント』(1996年)は、表現の自由を求める男の執念を描いた作品だ。主人公は実在の人物で、シンシナティのストリップ劇場の経営者を経て、ペントハウスやプレイボーイ誌の向こうを張って、過激なポルノ雑誌「ハスラー」を発行したラリー・フリント氏だ。氏は出版社を急成長させるが、露骨な写真を掲載したことなどから何度か逮捕される。法廷で表現の自由を主張し、言論への国家統制に反撃し続けるが、ある日、何物かに狙撃され、皮肉にも下半身マヒで車いす生活になる。
 大物テレビ伝道師を性的なパロディーにして掲載したため、名誉棄損訴訟を起こされるが、1988年、連邦最高裁で「風刺漫画や写真は公的・政治的議論の場で極めて重要な役割を果たしてきた」と、全員一致による逆転勝訴を得て、米国裁判史上にも名を残した。
 映画は、たとえ世間一般には評判の悪い人物でも、その表現の自由の権利はきちんと守るのが合衆国憲法修正第1条による信条だという点を描きたかったようだ。
 しかし、それ以上に興味深かったのは、ロックバンド「ホール」のコートニー・ラブが演じた元ヌードダンサーの妻役だった。孤独をまぎらわせようと、夫の痛み止めを注射したのをきっかけに薬物中毒になり、ついにはエイズで死んでいく役だ。法廷で奇行奇態が目立つ夫を、薬物でふらふらになりながらも支え続ける姿が感動的だった。
 「あの事故さえなければ」という後悔や自責の念は、本人ばかりではなく、家族にも訪れる。並大抵ではない。





映画は患者への心の栄養剤

朝日新聞朝刊 1999.8.28


  精神病と闘っている若い女性から『クール・ランニング』(1992年)という映画が良かったと薦められ、早速ビデオを借りた。
 カリブ海に浮かぶレゲエで有名な常夏の島ジャマイカから、なんと冬季オリンピックのボブスレー競技に出場しようという、うそのような本当のお話だった。到底不可能だと思われても、トライすることに価値があるのだと教えてくれた。映画が心の栄養剤になるケースだ。
 「人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ」というセリフが登場する映画がある。イタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』(88年)だ。無声映画の時代から、村で一軒の映画館で働き、人生のほぼすべてを映画から学んだという映写技師のセリフだ。
 彼は、子供の時から映写室に出入りしていた青年にそう言って、村を出ることを勧めた。
 映画の否定ではない。この映画には『どん底』『揺れる大地』『ユリシーズ』など、往年の名画がふんだんに登場する。映画の面白さを十分に知っている青年に、現実と映画との往還を勧めたセリフだった、と私は思う。何よりも映画を愛する人が作った映画賛歌の映画だった。
 映画の歴史は、たかだか百年。それでも一五万本を超える作品がある。毎日二本見ても二十年以上かかる。私も二千本ぐらいは見たと思うが、臨床医としては、病気と闘う知恵や勇気や自信を呼び起こすのに役立てたい、という視点で見ていることが多い。
 映画は映像と言葉と音楽があるので、活字に比べて五感に訴えやすい。この欄で紹介した作品のいくつかは、実は、患者さんから教えてもらった。感性の鋭さに感心することが多かった。
 治療にも資するように考えて、患者さんに「面白い映画でしたよ」と粗筋を紹介している。映画への夢を抱きながら、エールを送り続けたい。







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