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ストレス手帳

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◆朝日新聞連載エッセイ「ストレス手帳」

肝臓先生は精神科とも連携

朝日新聞朝刊 1999.9.4

 行商で全国を回り、家族を養ってきた初老の男性が胃かいようになり、大量に吐血して緊急入院した。内視鏡でかいよう部位からの出血が確認され、大量の輸血を受け、胃の四分の三を切除した。
 仕事に復帰したが、疲れやすく、根気がなくなった。内科を受診したら、輸血後のC型肝炎と診断された。
 イライラし気分もめいる。自分が消えてなくなりそうな心細さを感じ、理由なく涙が出る。眠りは浅く、いやな夢をみる。がんで、もうじき死ぬのではないかと不安になり、台所で包丁を見るのが怖い。食欲もなくなり、体重は三カ月で一〇キロ減った。
 C型肝炎のウイルスは幸いにも、免疫賦活(ふかつ)剤インターフェロン療法で追い出すことに成功した。しかし、精神科でうつ病と診断された。入院したが病状は進行し、行商もできなくなった。
 昨年封切られた『カンゾー先生』は、医者を描いた邦画としては『赤ひげ』『白い巨塔』以来の傑作だと思う。坂口安吾原作の『肝臓先生』を今村昌平が監督した。
 舞台は岡山県玉野市。柄本明演じるカンゾー先生は「開業医は足である」を信条に、往診かばんを抱えて敗戦間近の瀬戸内を走る。栄養と休養不足から、みたとたんに肝臓病とわかる患者が多い。
 軍部とかけあって、高価な点滴の配給を求め、原因を探ろうとするエネルギッシュな医者だ。帝大の同門会で、千五百のカルテを基に報告し、その実績と情熱に絶賛をあびる。が、戦いのさなか、軍部はまん延を認めたがらない。
 C型肝炎の患者は現在、国内に二百三十万人いるとされる。肝炎はアルコールだけでなく、幾つかのウイルスが原因と分かり始めた。肝硬変や肝がんに発展するのを防ぐため治療するが、免疫賦活剤は脳や気分に影響する。
 現代の肝臓先生は実際に走って往診には回らないが、分子遺伝子学も駆使して、精神科医と連携を深め始めている。





自閉症への理解進んだが…

朝日新聞朝刊 1999.9.11


  母親を見てもほほ笑まない。目が合わない。物を目で追わない。自閉症という発達障害が提唱されたのは、まだ半世紀ほど前だ。映画『レインマン』(1988年)は自閉症への一般の理解を飛躍的に前進させた。
 トム・クルーズ演ずるクルマの並行輸入業の青年は、父親の遺言状をきっかけに、長い間入院したきりの自閉症の兄がいたことを知る。雨の日には外に出ないと決めているレインマンの兄をダスティン・ホフマンが演じた。
 自閉症について映画では、こう説明される。
 「昔は痴呆症(ちほうしょう)と混同されたが、知覚のインプットと処理過程、意思の疎通と学習能力に障害があり、感情の表現と理解ができない。外界が怖いので決まった儀式的行動に逃げ込む。睡眠、食事、歩き方など、日常生活のパターンが破られるのを嫌う」
 父の遺産は、兄の主治医に託された三百万ドル。事業に行き詰まっていた弟は遺産目当てに兄を連れ出し、父が残した49年型ビュイックでシンシナティから自宅のあるロスに向かう。数日間の旅の途中、弟は兄の驚くべき記憶力によって、秘められていた家族の歴史を次々に知る。弟は急速に自閉症への理解を深め、兄を親友(メーンマン)と呼ぶようになる。
 睡眠研究に身をささげた精神科医ウィリアム・デメント博士は、野獣から襲われないように身を寄せ合って眠ったのが家族の起源だという興味深い仮説を立てた。
 最近では、配偶者のいびきで眠れないと寝室を隔てるケースも増えている。娘や息子も早い時間から自室にこもりがちだ。眠りが家族を結合させる時代ではない。家族の関係も危機に直面している。
 天才的な自閉症患者もいるにはいるが、現実には知的障害を合併している重篤な人が少なくない。才能があっても、痛みは傷みだ。
 コミュニケーションが取れない病だけに、治療とともに発達教育を心掛けている。





「切れる」怖さ、大人にも

朝日新聞朝刊 1999.9.18

 「あの人は切れる」といえば、昔は仕事のできる人のことだった。最近の「キレる」は、平常心が断ち切れて突然、むちゃくちゃをやりだす人のことだ。酒を飲んで「キレ者」になる状態のノンアルコール版とでも言おうか。
   積み木遊びで、塔や家を作ろうと親が一生懸命になりかけたころ、子供が突然すべてを破壊することがある。破壊的、激情的なのは発達途上の幼年期の特質だ。
 少年による銃の乱射、ナイフによる殺傷事件など、日米両国の少年犯罪の過激化が問題になっている。が、少年法「改正」で罰則を大人並みにしたからといって、解決する問題だとも思えない。
 切れる子供を問題視する冷静沈着そうな大人が、子供や妻を虐待している例もある。チャーリー・シーン主演の「プレッシャー」(1997年)は、勇敢な模範消防士がある暑い日に、隣家の子供たちが庭で騒いでいるのに腹を立てたのを皮切りに、切れまくってしまう話だった。
 「子供を預けてくれたら、しつけがどういうものか教えてやろう」と怒鳴っているうちはまだよかった。自分の離婚の過去が重なり、隣家の幸せそうな様子を恨んで、救助に来た警官まで殺してしまう怖い話だった。
 マイケル・ダグラスも「フォーリング・ダウン」(93年)で切れてみせた。こちらも離婚歴あり。しかも失業中。大渋滞でまず切れ、渋滞の列に車を放置して去り、次々に事件を起こす。そのたびに入手する武器が強力になり、バズーカ砲までぶっ放す。最後の狙いは別れた妻と、子供に会いにいくことだった。
 すぐ切れるのは、子供ばかりではない。ただ、大人にできることは、切れたり、切れそうになったりした時を、後で振り返れることだ。何に辛抱できなくなったのか。促進要因は何だったのか。
 「切れやすい子供」を考える手がかりは、案外、そんなところにあるかもしれない。





醜貌恐怖つけこむ豊胸手術

朝日新聞朝刊 1999.9.25


  電車に乗って嫌でも目に入ってくる雑誌の「巨乳」広告にはうんざりする。テレビの深夜番組にも「Fカップ」がよく登場している。一方、モデルのようなスリムな体形を目指すダイエットやエステも盛んに宣伝されている。
 自分の外見が醜いという観念に捕われた患者が時折、精神科を訪れる。
 だれが見てもすごい美人なのに、小さなほくろを形成外科で手術してもらってから、傷跡で一層醜くなったと医者を訴えた女性患者がいた。手術前後の写真を別の外科医に見せても、手術は完ぺきだと言うし、ほくろの跡など素人目にはまったくわからない。
 醜貌(しゅうぼう)恐怖とか異型恐怖といわれる妄想の一種だ。
 先進国では、ダイエットを始めて拒食症や過食症になる若い女性が増える一方、豊胸手術を望む女性も多い。
 『ブレストメン』(1997年)というテレビ映画をビデオで見た。「豊胸外科医」という副題も付いていて、借りる際に少しどぎまぎした。
 1960年代、コスメティック外科の黎明(れいめい)期に、シリコンをおっぱいに入れて、大きくする技術を開発した米国の二人の医師の話だ。二人は大いにもうけ、「女性のストレスを解消した」と有頂天になる。一人はその後、女性の希望のままに巨乳手術をエスカレートさせるようになる。
 しかし二人とも、シリコンが体内にこぼれて胸の形が崩れたり、ほかの病気を誘発したりした女性から医療過誤で訴えられ、次々に敗訴する。
 乳がんの手術後に再発の不安も抱きながら、引け目や恥ずかしさが少しでも滅るように乳房を形成することと、健康な女性が普通にあるものをもっと大きくしたいという望みは、やはり違う。
 美容は自費で、病気の治療は保険で、という区分はもちろん必要だが、それ以上に、病を治す目的ではなく体にメスを入れる行為に疑問を感じている。









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