エッセイ 銀幕 こころの旅


◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」


2006年より68回にわたり連載していたエッセイです。


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ストレス手帳

銀幕 こころの旅

シネマシリーズ

ちょっとブレイクしませんか



束縛

◆ストレス解消には映画

中日新聞朝刊 2006.04.07


 「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」
 これは、オリンピックの創始者クーベルタン男爵の有名な言葉(古代ローマの詩の一節)です。しかし、肉体が健全でも精神を病む人は少なくありませんし、精神を病むと肉体にもさまざまな不調が表れます。体を強く鍛えれば、心も健康になるわけではありません。
 今、わが国では毎日ストレスを感じて生きている人が、十人に六人以上います。四人に一人近くが「毎晩よく眠れない」と感じており、五人に一人以上が不眠を経験しています。一億総ストレス時代といえるでしょう。
 私は、心に病を持つ人たちのケアに携わって三十年になります。病院で二十五年間勤務した後、大学生のメンタルヘルスに取り組んでいます。
 以前、精神病院の映画会で、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズを上映したとき、目に涙をいっぱい浮かべていた看護師がいました。
 皆さんご存知の「男はつらいよ」は、自由人・車寅次郎を主人公とする抱腹絶倒の喜劇ですが、定職を持たない気楽さと不安定さを見事に描いています。仕事や学校に束縛されストレスをためている現代人と対照的な生き方です。
 せっかく家に戻っても、家族ともめて、また旅に出る。「どうせ俺なんかいない方がいいだろう」と捨てぜりふを吐いて、あてもない旅に出る寅さん。多くの日本人が、寅さんを見て大笑いして、すっきりして、一歩映画館を出ると、忙しい日常に戻っていきました。涙を浮かべていた看護師も、映画に癒やされた一人でしょう。
 私は、ストレス解消には映画が一番だと思っています。四歳から九歳まで毎日、近所の映画館に潜り込んで過ごしていたからです。その映画館も火事で焼け落ち、田舎町にもう一軒あった映画館もいつのまにか姿を消し、家庭にテレビが入りました。町の社交場、大人の憩いの場であった映画館の消失は、同時に人々のふれあいが希薄になる象徴的な出来事でもあったのです。
 この連載では、映画の癒やしの世界をたどっていきます。





認知症

◆それでも愛されるか

中日新聞朝刊 2006.04.14


 認知症の代表格・アルツハイマー病は、脳が萎縮していく病気です。進行すると、鏡に映る自分さえ見分けがつかなくなってしまいます。この病気をテーマにした「きみに読む物語」(2004年・アメリカ)をご紹介しましょう。
 八十歳の老人が、記憶を失った妻に本を読み聞かせます。遠い過去の、せつない恋の物語です。
 1940年代。アメリカ南部の避暑地で過ごしていた資産家の娘は、現地の貧しい青年と恋に落ちました。廃屋を見つけ「一緒に住もう」と夢を語り合います。でも、夏の終わりとともに、恋は幕を閉じ、娘は東部の大学に進んで、知り合った男性と婚約します。
 青年は、一年間毎日、手紙を書き続けますが、娘の母親の妨害で、返事は来ません。青年は、都会に出て働き、従軍し、親友を失い、故郷に戻って失意の日々を送ります。そして、買い取った廃屋を取りつかれたように修理します。娘との約束を果たすために…。
 過去の恋愛と現代の認知症ケア。無数の渡り鳥が飛び交う湖を背景に、時間を行き来しつつ、美しい物語が展開します。
 妻の記憶の空白を埋めるために語り続ける夫は、ジェームス・ガーナー。コメディーも得意な俳優です。老いた妻はジーナ・ローランズが見事に演じました。
 このドラマの二人が避暑地で出会った1940年代。日本では、同世代の若者たちが焼夷弾(しょういだん)の爆撃から逃げまどったり、「お国のために」と出征したり、挺身隊(ていしんたい)で青春を過ごしていました。
 それから六十年あまり。世界一の長寿国となった日本では、多くの高齢者が認知症をわずらい、つらい戦争体験すら思い出せない状態になっています。二十年後には、認知症の人が三百万人を超える見込みです。
 もしも、あなたが認知症になったとき、全力で愛してくれる人はいるでしょうか?高齢化ってピンと来ない、認知症なんて別世界、と思っている方。ぜひ、この映画をご覧ください。認知症については、ほかにも「ユキエ」「折り梅」など優れた邦画があります。





障害

◆周囲の視線に負けない

中日新聞朝刊 2006.04.21


 障害のある人と話したり、手紙のやりとりをしたりすると、感性の鋭さ、人の評価の的確さにしばしば驚かされます。脳性まひの人から「あの先生、教授らしいけど、患者の気持ちは分からないみたい」と聞いたときには、肩書にとらわれない無垢(むく)な心が真実を見抜くのかと思いました。
 そうした障害児を持つ親御さんも、底抜けに明るかったり、職場で群を抜く業績を上げていたり、ひと味違う何かを感じることも少なくありません。
 「ギルバート・グレイプ」(1993年)は、今をときめくハリウッドの大スター、レオナルド・ディカプリオと、彼が実生活でも兄貴分と慕うジョニー・デップとの共演です。
 知的障害のあるレオ君は、高いところが大好き。町で一番高い煙突に登って、町中大騒ぎになり、レオ君は警察に身柄を拘束されてしまいます。母親は、夫の死後、過食で象のように太って、身動きのとれない体になっていたのですが「私の子を返せーっ!」と警察に怒鳴り込みます。町の人たちの白い目を浴びながら、堂々とレオ君を連れ帰る姿は感動的です。多くの障害児の親御さんが乗り越えてきた「周囲のまなざし」を、レオ君の母親も乗り越えたのです。
 ジョニー・デップが演じた兄も、家族を守る思いと自分の夢との間で揺れる、笑顔が魅力的な青年でした。
 「ギルバート・グレイプ」は、社会の中で障害者が生きることの意味、自立することの意義、それを支える家族のきずな、地域の人々のやさしさなど、今日の日本で失われつつある多くのことを教えてくれます。
 四月に施行された障害者自立支援法は、障害者本人や家族の負担を高め、社会参加を困難にするとして「自立阻害法だ」と激しい批判がわき起こっています。この法律にかかわった官僚や国会議員は、この映画を見て、障害者や家族が社会にどれほど大切な存在であるかを認識しなくてはいけません。





リハビリ

◆体と心、両方を診る

中日新聞朝刊 2006.04.28


 「七月四日に生まれて」(1990年 アメリカ)は、アメリカの独立記念日に生まれた帰還兵を描いた映画です。
 トム・クルーズ演じる主人公は、愛国心と使命感に燃えて志願兵となり、ベトナムへ行きます。しかし、戦地で親友を失い、自らも脊髄(せきずい)を損傷し、車いすの身になります。反戦運動が広がる時代、帰国した彼を待っていたのは、周囲の白い目でした。
 悪夢、不眠、フラッシュバック、絶望と抑うつなどPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が現れ、苦しみを紛らわそうと酒やセックスにおぼれる日々。もがき苦しんだ末、彼は友人の助言に耳を傾け、障害を受け入れ、自分の過ちを繰り返させたくないと、反戦運動に身を投じていきます。
 健康だった人が中途障害になるのは、大変なことです。絶望的になったり、いつも後悔したり、自殺まで考えてしまう人も少なくありません。
 でも、支えてくれる人がいたり、自分が生きていく目的を持てたりすれば、回復・復活・再生の可能性も出てきます。
 この映画を見て、K君のことを思い出しました。
 明るく活発な大学生だった彼は、三年の夏休みに合コンで海水浴に出かけ、彼女にいいところを見せようと、三メートルの高さの岩から海に飛び込み、腰を強く打って、腰椎(ようつい)を損傷。一歩も自力では歩けず、トイレも、着替えも、お風呂も介助が必要になりました。
 それでもK君は障害を受け入れ、苦しいリハビリもこなし、学業を投げ出さず、立派な卒業論文を仕上げ、先端企業への就職も自力で勝ち取りました。
 彼の支えとなったものは、何だったのでしょうか。障害の受け止め方、心の回復の道のりは人さまざまです。医療が体と心の両方をきちんと診ることで、K君のような真のリハビリを、一人でも多く実現してほしいものです。





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