エッセイ 銀幕 こころの旅



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銀幕 こころの旅

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◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」



孤独

◆老後への気づき大切

中日新聞朝刊 2006.10.06


 「野いちご」(1957年、スウェーデン)

「私はどんな処罰を受けるのでしょうか」
「ごく普通の罰です」
「普通の?」
「孤独という罰です」
スウェーデンの巨匠イングマル・ベルイマン監督の「野いちご」の一シーン。主人公の老医師イサクが、悪夢の中で裁判を受ける場面です。
 家庭を大切にせず、自分を偽って生きてきた、専門知識もちっぽけなものだ、と断罪され、その判決が孤独…。半世紀前の映画なのに、現代社会に警告を与えているようです。
 他人との付き合いを絶ち、書斎にこもるイサクが、大学の名誉博士号の授賞式に出席するために車で旅に出るところから物語は始まります。同行者は、息子の妻。結婚生活がうまくいかず悩んでいます。車内で話すうちイサクは息子の苦悩の原因を作ったのが自分だと気づきます。
 青年時代を過ごした屋敷に立ち寄ると、白昼夢で野いちごを摘む少女サーラが現れます。サーラはイサクとの結婚を望んでいたのに、弟が強引に奪ってしまったのです。以来、イサクは痛みを押し殺し温厚な紳士を装うようになっていました。
 回り道をして九十六歳の老母を訪ねると、いきなり「私が早く死なないから恨んでいるだろう」と憎まれ口をたたかれます。だれも訪ねて来ず、孤独で不機嫌な日々を送る母の姿は、イサクの明日を暗示するようでした。
 三人の無銭旅行者を車に乗せ、若い彼らの天衣無縫さに接して、仮面をかぶってきた自分を悔やんだり、亡き妻の不倫を夢に見たり。現実と幻想が交錯する旅の中で、イサクは自分が愛を求めていたことに気づきます。心を偽らずに話すようになったイサクは、周囲との穏やかな関係を取り戻し、悪夢も見なくなります。家族のきずなの危うさと再生を詩情たっぷりに描いたこの作品。老後の孤独を防ぐのは、自分自身の気づきだと、語りかけています。





成長

◆音楽教師の人生の喜び

中日新聞朝刊 2006.10.13


 「陽のあたる教室」(1995年、アメリカ)

 「教師の仕事って最高です」と目を輝かせる先生に、しばしば出会います。教育委員会や校長や父兄から、あれこれ注文をつけられ、ストレスもかかるけれど、子どもたちが伸びていく姿を、間近に見られるからです。
 「陽のあたる教室」の主役ホランド(リチャード・ドレイファス)は、若き音楽家。交響曲の作曲の時間を確保するために、新設高校の音楽教師になりました。でも、教壇に立ってみると、生徒たちはやる気がなく、オーケストラの演奏もばらばら。最初は腹を立ててばかりいたホランドですが、自分の工夫次第で生徒たちの反応が一変することに気づきます。
 懸命にがんばってもクラリネットが上達しない女生徒には、こんな指導―。
「君は自分のどこが一番好きかな」
「髪です。父が、いつも私の髪を夕日のようだと言ってくれるから」
「では、その夕日を心に描いて演奏しよう」
 生徒から慕われるようになったホランド先生に、やがて長男が誕生します。コルトレーンにちなんでコールと名付けますが、先天的に耳が不自由な子でした。手話を覚え、コールはさまざまな感情表現ができるようになりますが、仕事に夢中で手話が上達しないホランドとの関係がぎくしゃくします。その危機を乗り越えたのも音楽の力でした。コンサートを企画し、手話でホランドが息子に歌をささげたのです。
 ベトナム戦争、ジョン・レノンの暗殺などアメリカの現代史を背景に、一教師の人生が温かく描かれていきます。
 六十歳になり、退職を迫られたホランド。引退の日、過去三十年間の教え子たちが講堂に集まります。音楽家としては無名の自分が、かけがいのない作品を世に送り出していたことに初めて気づくのです。現代日本の多くの教師たちが、ホランド先生のような思いで定年を迎えられるように、と願います。

 



なぞ解き

◆はかなさを醸し出す

中日新聞朝刊 2006.10.20


「めまい」(1958年・アメリカ)

 不可思議な出来事が次々に起こり、そのなぞが解明されていく中で、人間のはかなさがにじみ出てくる。巨匠ヒチコックの名作「めまい」は、サスペンスの王道を行く作品です。
 主人公の刑事のジョン(ジェームズ・スチュアート)は、ビルの屋上で犯人を追跡中に、パニックを起こし、自分を助けようとした同僚が墜落死します。
 失意のまま退職したジョンに、旧友が「妻を尾行してほしい」と依頼します。美しい妻マデリン(キム・ノバク)に自殺した曾祖母の霊がとりつき、夢遊病者のような行動をするというのです。
 尾行を始めると、マデリンは曾祖母のゆかりの地を歩き回った末、ジョンの前で、海に身投げします。救助して励ますうち、ジョンはマデリンに恋心を抱きます。そして、夢によく出てくるという古い教会に一緒に出かけ、行動のなぞを解こうとするのですが、彼女はジョンに愛を打ち明けた後、教会の塔から飛び降りて命を絶ちます。
 高所恐怖のジョンはパニック発作で動けませんでした。絶望して落ち込んでいたある日、ジョンは、街でマデリンに似た女性に出会い、強引に食事に誘って、愛し合うようになります。でも実は、彼女は死んだはずのマデリン。旧友が本物の妻を殺害するために打った芝居だったことが判明します。
 真相に気づいたジョンは、現場に彼女を連れて行き、詰門します。彼女は「あなたを利用してお金をもらったが、あなたへの愛は真実だ」と泣いて訴えますが、悲しい結末が待っていました。
 外傷体験によるジョンの高所恐怖と、真相を知られまいとするマデリンの苦悩が、ドラマを盛り上げます。夢や心の内面を効果的に使っているのは、フロイトの影響を受けたヒチコックならでは。脚立に上って高所恐怖を克服しようと訓練する場面は、恐怖症の認知行動療法の原型を見事に描いています。
 半世紀近くも前にこの映画が作られたのは驚きです。





統合失調症

◆家族は見守る姿勢持って

中日新聞朝刊 2006.10.27


 「こわれゆく女」(1974年・アメリカ)

 夫や子どもたちを愛しているのに、平穏な生活を送ることができない。そんな主婦の心の病と夫の苦悩を描いた作品がジョン・カサベテス監督の「こわれゆく女」です。
 メイベルは、工事現場監督の夫ニックと、三人の子どもと暮らしていますが、とっぴな行動を取るので、ニックはハラハラし通しです。
 たまには夫婦水入らずで過ごそうと、子どもたちを実家に預けた夜、ニックは急な事故処理で、徹夜の勤務に。寂しさに耐えられないメイベルは、夜の街に出かけます。もうろうとした状態で、男を家に連れ込み、正気に返って男を追い出します。
 翌朝、ニックが部下たちを連れて帰宅すると、メイベルは部下たちにキスをしたり、ダンスをせがんだりと大はしゃぎ。自分の行動がひんしゅくを買っていると分かると、表情をこわばらせ、独り言を繰り返します。
 感情の起伏が激しく、幻覚や被害関係妄想を抱きやすいメイベルの症状は、統合失調症と診断できます。
 振り回される家族も大変です。ニックはいらだちから怒鳴ったり、近隣とけんかをしたりして疲れ果て、メイベルは専門病院に半年間入院することになりました。
 退院の日、ニックはお祝いに仕事仲間たちを集め、パーティを開こうとしますが、病み上がりのメイベルには負担が大きく、その夜は激しい夫婦げんかに。でも、子どもたちを寝かせて夫婦二人になって、ようやく穏やかな時間が訪れます。
 混乱するメイベルの精神状態を、ジーナ・ローランズが見事に演じました。武骨で不器用なニック役は「刑事コロンボ」でおなじみのピーター・フォークでした。
 現在では、統合失調症の新薬も登場し、普通に家庭生活を営む患者さんも増えています。家族は本人のつらさを受け止め、じっくり見守る姿勢を持つことが大切です。

 





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