◆生き生きとした大衆讃歌
中日新聞朝刊 2006.12.01
「天井桟敷の人々」(1945年、フランス)
芝居小屋にも大通りにも人があふれ、大道芸人がスターになり、酒場のダンスに恋が芽生え…。十九世紀のパリが舞台の不朽の名作「天井桟敷の人々」は、大人の恋の物語であり、躍動的な庶民賛歌です。
三時間を超す映画の主軸は、パントマイム芸人バチスト(ジャン・ルイ・バロー)と、女芸人ガランス(アルレッティ)の純愛です。
初めての出会いで互いにひかれ合ったのですが、下積みのバチストは、引け目からか共に一夜を過ごすことをためらいます。その後は、思わぬライバルが現れたり、犯罪に巻き込まれたりして、二人の愛は成就せず、別々の伴侶を持ちます。
バチストは、思いを心に秘めて芸を磨き、非言語的な悲しみや慕情の見事な表現力で、看板役者になりました。ガランスは何と伯爵夫人です。そして、五年後に再会した時、二人はほとばしる熱情のまま結ばれます。でも、一夜限りの契りでした。
映画では、シェークスピア劇の伝統にこだわる劇作家たちが、こっけいな存在として描かれます。貴族の決闘の文化も、権力にこびる警察も、風刺されています。
その半面、貧しいけれどたくましい庶民の姿が、生き生きと描かれます。パントマイムの名人芸に熱狂的な拍手を送り、カーニバルの夜に興奮し、仲間の恋をこっそり応援する人たちです。
この映画が作られた当時のパリは、ドイツ軍占領下でした。撮影は苦難の連続だったそうです。マルセル・カルネ監督は、祖国の大衆文化への誇りを描いたのだと思います。互いを思い続けるバチストとガランスの姿を通じて、戦争下の庶民にエールを送ったのではないでしょうか。
今の日本では、映画も演劇も音楽も大道芸も、庶民から距離のある存在になってしまったようです。「愛国心を持とう」というかけ声が急に大きくなりましたが、庶民が誇れる「大人の文化」が育っていない国では、根なし草のような危うさを感じます。
◆認知を広めた名演技
中日新聞朝刊 2006.12.08
「レインマン」(1988年、アメリカ)
発達障害の代表格・自閉症は、とても誤解されやすい障害です。その正しい理解に貢献したのが「レインマン」です。
商売の資金繰りに苦労していた中古車ディーラーのチャーリー(トム・クルーズ)に、父の訃(ふ)報が届きます。少年時代に家を飛び出したまま、関係を絶っていた父でした。チャーリーは遺産目当てにいそいそと故郷オハイオに戻ります。
ところが高額の遺産の相続人が、見知らぬ兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)だと知り、愕然(がくぜん)とします。レイモンドは自閉症のために療育施設に入所しており、チャーリーにはその存在すら教えられていなかったのです。
やけっぱちになったチャーリーは、兄を施設から連れ出し、自ら後見人になって財産を奪おうと企て、自分の住むロサンゼルスに連れていこうとします。ところが空港に行くと、レイモンドは頑として飛行機に乗ろうとはしません。
やむなく、父の遺(のこ)した車での長旅となります。その道中も、チャーリーは兄の独特なこだわりや一風変わった意思表示の仕方に振り回されてばかり。かと思うと、ラスベガスで、レイモンドの驚異的な記憶力のおかげでカードゲームに大勝ちする場面も。自閉症の人によく見られる「見たことを記憶する能力の高さ」のなせる業でした。
共に旅するうちに、チャーリーは、幼い日のかすかな記憶に残る”守り神レインマン”が実はレイモンドだったと気づき、兄のためにまともな後見人になろうと決意します。異性やお金に執着する弟と世俗を超越した兄。笑いとペーソスを織り交ぜた珍道中を通じて、「共生」のテーマが観客の心にしみ込んでいきました。
自閉症は、脳の機能障害により、特殊な認知、知覚、言語の障害のために人との接触において独特の行動様式を示す障害です。一般の人々に自閉症の人の姿を伝えたダスティン・ホフマンの名演技は、今も関係者の間で語り継がれています。
◆欲望や感情に打ち勝って
中日新聞朝刊 2006.12.15
「セブン」(1995年、アメリカ)
キリスト教の「七つの大罪」をご存じでしょうか。「高慢、嫉妬(しっと)、暴食、色欲、怠惰、強欲、憤怒」。それぞれの感情や欲望をつかさどる悪魔がいて、人を罪に導くとされています。
「セブン」は、「七つの大罪」を主題にした連続殺人犯と、それを追う刑事たちの物語です。
最初の被害者は肥満の大男でした。食べ物の中に顔を埋めて死んでおり、現場に「暴食」のメッセージが残されていました。続いて、敏腕弁護士が殺され「強欲」の血文字が…。退職間近のサマセット(モーガン・フリーマン)と、血気盛んな新人ミルズ(ブラッド・ピット)の二人の刑事が、懸命に捜査しますが、浮かんだ容疑者は「怠惰」の文字とともに殺されます。
でも、図書館の貸し出し記録から、ジョン・ドゥ(ケビン・スペイシー)という男が浮かびます。その後も「色欲」(売春婦)、「高慢」(美人モデル)と殺人が続きますが、ジョン・ドゥは突然に自首。そして刑事たちに「残り二つの殺人現場に案内する」と言います。彼は、奇想天外な幕切れを用意していました。
法を守る刑事も「憤怒」にかられれば殺人を犯すのだと、自分の身で証明し、七つの殺人を完結させたのです。名優たちの熱演で、緊迫感あふれるサイコスリラーでした。
ジョン・ドゥはまさに「悪魔の化身」として描かれていました。「人間は罪深い存在であり、信仰によって神の許しを得る」というキリスト教の教義を理解しないと、この映画の本質は分かりにくいでしょう。
日本は、殺人事件が少ない国ですが、それでも最近は、動機の不明な事件が起こると「心の闇」といった言葉がよく使われます。犯罪の背景をきちんと検証せずに異常性を強調するのは、偏見や差別につながりやすく問題だと思います。
人の心の中には悪魔などいない。そう信じつつ、クリスマスを迎えたいものです。
◆ホームレスの2人の夢
中日新聞朝刊 2006.12.22
「聖者の眠る街」(1993年、アメリカ)
少年が集団でホームレスの人たちを殺傷した事件に、世間は驚いています。今週紹介する「聖者の眠る街」は、人間の尊厳とホームレスの友情を描いた作品です。
黒人のジェリー(ダニー・グローバー)はベトナムの帰還兵です。商売に失敗し、家族とも別れ、戦争の古傷で痛む足を抱え、ニューヨークで渋滞時に車の窓ガラスを磨いて、チップを稼ぐ路上生活者です。
そんな彼がホームレスの宿泊施設で、白人の若者マシュー(マット・ディロン)と仲よくなります。写真家志望の学生だったマシューは、統合失調症を病み、親からも捨てられた身でした。まともに写真を撮れなくなり、心に留まる光景があると、フィルムの入っていないカメラを構えシャッターを切るのです。孤独な彼に、ジェリーは父性愛のような感情を覚えます。
暴力が絶えない宿泊施設でマシューの折れそうな心を支え、かばっているうち、二人は一緒に車磨きに励むようになります。お金をためてアパートに住み、商売を始めようと夢を語り合います。
ところが、不良黒人とのトラブルで、二人は宿泊施設にいられなくなりました。街を転々とする中で奇跡が起こります。マシューが手でさすると、ジェリーの足の痛みがうそのように消え、靴磨きの老人の痛む手も全快したのです。
「お前はホームレスを守護する聖者だ」と、ジェリーは感謝を込めて”洗礼”の儀式をします。その翌朝から、マシューはホームレスの人たちの美しさを写真に撮り始めるのです。
仲間に支えられ、将来への希望を取り戻していくマシュー。でも、ホームレスを巨大宿泊施設に強制収容しようとする政策が災いし、悲劇の結末が待っていました。残されたジェリーは、”聖者”の思い出を胸に、懸命に生きていくことを誓うのです。
「どんな状況にあっても、人は希望と自由と尊厳をなくさない限り、美しい存在なのだ」というメッセージ。悲しいけれども心にしみる作品でした。
◆戦地に咲く一途な思い
中日新聞朝刊 2006.12.29
「人生は、奇跡の詩」(2005年、イタリア)
かつて映画界には、チャプリンやキートンといった偉大な喜劇役者がいました。自ら監督・主演し、自分の体と言葉で、観客を笑いと涙の渦に包み込む天才たちでした。
コンピューターグラフィックス(CG)の技術が進み、映画づくりが大きく様変わりした今、かつての天才たちに劣らない存在感を見せるのが、イタリアのロベルト・ベニーニです。
1999年のアカデミー賞で主演男優賞などを獲得した「ライフ・イズ・ビューティフル」をご記憶の方も多いでしょう。今回紹介するのは、彼の最新作で現在公開中の「人生は、奇跡の詩(うた)」。「ライフ・イズ・ビューティフル」と同様に、彼が監督・主演し、実生活でも妻であるニコレッタ・ブラスキが共演しています。
舞台は2003年のローマ。詩人で大学教授のアッティリオは、おっちょこちょいで、ちょっと浮気性のイタリア男ですが、別居中の妻ヴィットリアを忘れられず、毎晩、彼女との結婚式の夢を見るのです。
偶然にヴィットリアと出会い、得意の話術でうまくいきかけたと思ったら、昔の恋人との関係を誤解され、元のもくあみに。悶々(もんもん)と過ごしていたある夜、アッティリオの家の電話が鳴ります。
ヴィットリアが仕事で出かけていたバグダッドで、イラク戦争の爆撃に巻き込まれ、意識不明の危篤状態になったとの報(しら)せでした。
そこからの展開は、まさにベニーニ流です。空港が封鎖されたバグダッドに、あの手この手でたどり着き、治療薬も点滴も酸素ボンベもない中で、ヴィットリアの命の灯(ひ)を守るために飛び回るのです。
「自分の愛する人を守る」という一途(いちず)な思いが、奇跡を起こします。テロを警戒する米兵とのやりとり、地雷原でのステップなど、笑いを盛り込みながら、戦争の悲惨さ、愛の強さを訴えます。
戦争やテロが絶えない二十一世紀。「家族愛と人間愛」を原点にしたベニーニのシネマの世界は一段と輝きを増しています。
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