◆体むしばまれる依存症
中日新聞朝刊 2006.05.05
大学でスポーツサークルに入ったA君。歓迎会で待っていたのは「イッキ飲ませ」でした。先輩たちに延々とビールや焼酎をがぶ飲みさせられたA君。ついに倒れるように寝てしまいました。
先輩の1人がふと気づくと、呼吸が弱く、意識を失っている様子。慌てて救急車を呼び、A君は一命を取り留めました。
酒は大量に摂取すると死に至る薬物です。そして、急性ではなく徐々に体をむしばまれ、死に至るのがアルコール依存症です。ビリー・ワイルダー監督の「失われた週末」(1945年 アメリカ)を見ると、アルコール依存症の怖さがよく分かります。
主人公は、小説家なのに、酒を買うためにタイプライターを質に入れ、恋人のコートまでお金に換えようとします。この病気の患者は、酒を飲むことを何よりも優先し、仕事を失ったり、人間関係を壊してしまうことが多いのです。心も体も酒に依存してしまううえ、困ったことに酒への耐性も生じて、飲酒量がどんどん増えていきます。
お酒が切れ始めると、部屋の中に小動物の姿が現れます。これは実際にいないものが見えてしまう「せん妄」という精神状態です。ボロボロになって人生に絶望した主人公は、自殺を決意します。これも、現実によくある問題です。
それでも、献身的な恋人や兄に支えられ、断酒を決意する結末は、希望を抱かせてくれます。
それから六十年後の今、アルコール依存症の治療は大きく進歩しました。入院して「離脱プログラム」を受けることで、1ヶ月あまりで立ち直る人も少なくありません。
それでも、三十代、四十代で命を落とす患者さんもいます。職や家族を失った人にも何人も会いました。「いつ死んでもいい」といったやけっぽな気持ちがあり、「酒をやめても家族は戻ってこない」と絶望している人が多いようです。
「失われた週末」の時代から、患者さんの思考は同じです。それでもあなたは、浴びるほど酒を飲みますか?
◆支え合いはぐくむ原点
中日新聞朝刊 2006.05.12
糖尿病といえば、肥満による生活習慣病をイメージしがちですが、これは「2型」の肥満型糖尿病のこと。生まれながらにしてインスリンという血糖制御ホルモンが不足している「1型」の若年性糖尿病に苦しむ人たちがいます。
患者さんの多くは、1日4回、指先から採血し、血糖値を測ってインスリンの注射をしなければなりません。うつ状態になったり、急激な発作で命を落とす人もいます。
映画『マグノリアの花たち』(1989年 アメリカ)は、この病気を抱えた若い娘と、娘を支える地域の女性たちの物語です。
舞台はルイジアナ州の田舎町。ジュリア・ロバーツが演じる娘は、病気を理解してくれる男性と愛をはぐくみ、結婚します。ところが、おめでたとなった途端、事態は一変します。
健康な人でも妊娠・出産は大変ですが、糖尿病の患者さんは妊娠腎といって糖代謝が悪化し、病状が進むことがあります。当然、母親は反対しますが、娘はそれでも産みたいと決意。つわり、腎臓病、無呼吸症など次々に襲ってくる危険を乗り越えていきます。
彼女を支えるのは、母親、近所のおばさん、見習美容師・・・。それぞれに悩みをかかえながらも、ストレスをおしゃべりで発散させている女性たちです。ふだんは口げんかばかりなのに、娘が低血糖発作を起こすと、さっと協力し合って、手当てをしたりします。
温かい愛情、友情に囲まれ、娘は出産しますが、腎臓障害を起こし、母親から腎臓の提供を受けます。でも、平和な日々が戻ったのはつかの間でした・・・。悲しい結末の中にも、最後まで自分らしく生きた患者さんと支え手の姿が感動的でした。家族だけが介護にあたる日本とは違う文化が、古きよき時代のアメリカにはあったようです。
日本だって昔は地域の中で、障害者も高齢者もわんぱく少年も、みな一緒に暮らしていました。専門病院、専門施設を次々とつくって、障害者を地域から切り離してきたことで、社会が失ったものは大きいと思います。
◆刺激求めギャンブル投入
中日新聞朝刊 2006.05.19
ドリームジャンボ宝くじが発売されています。「一等が当たったら家を建てて、世界旅行も…」と夢見る人も多いでしょう。こうした一攫千金を日常的に夢見ているのが、ギャンブル好きの人たちです。
オスカー俳優のリチャード・ドレイファス主演の「のるかそるか」(一九八九年 アメリカ)は、ギャンブルの本質を描いた作品です。
主人公は競馬好きのタクシー運転手。大穴狙いで負け続けているのですが、たまたま手に入れた裏情報を頼りに「これで負けたら競馬をやめる」と全財産をつぎ込んで、見事に的中。そこから幸運の波が訪れます。競馬は、出走馬の能力や調子、レースの展開などを推理していくゲームなのに、彼は「馬がウインクした」といった理由で大金をかけ、ことごとく的中してしまうのです。
競馬場内の金持ちが集うクラブにも出入りできるようにもなります。でも、あこがれていた場で出会う紳士たちは、あんまり幸せそうじゃない。むしろ、お金のない友人や妻が輝いてみえてくる。そして運命の大勝負の行方は…。
主人公と一緒に、手に汗握る気分になれる映画です。ギャンブルの疑似体験といえるでしょう。
自分の推理や、かけひき、勇気によって、一瞬で大金を手に入れたり失ったりするのがギャンブル。その体験は、人間の脳の快楽中枢や新規探究心を刺激します。その魅力から抜け出せなくなるのが、ギャンブル依存症です。一攫千金なんて起きるわけがないと分かっていてもやめられず、より強い刺激を求めてしまいます。「分かっちゃいるけど、やめられない」は、精神疾患の「強迫性障害」にもつながる病理です。
やはりギャンブルは年数回とか、月に一度ぐらいの頻度で、お小遣いで楽しめる程度にとどめたいものです。パチンコやマージャンで「一日で十万円もうけた」「三日で百万円負けた」といった賭博性の強い世界に没入すると自己破産や一家離散の危機すらあるのです。
◆いさかいの中で成長
中日新聞朝刊 2006.05.26
仕事中毒で家庭を顧みない夫と、自立を夢見て離婚を決意する妻…。二十七年前に公開された「クレイマー、クレイマー」(アメリカ)は、現代日本の問題を予言するような、示唆に満ちた映画です。
ダスティン・ホフマン演じる夫が、会社で大きな取引を成功させ意気揚々と帰宅すると、妻は荷物をまとめている最中でした。懸命に引き留めても、妻は疲れ果てた表情で「私が悪いの」と言い残し、七歳の息子を置いて出て行ってしまいます。
最初は、怒りと混乱の中にあった夫も子育てに向かい合い、朝食の支度、学校の送り迎え、本の読み聞かせと、かいがいしくがんばります。次第に仕事は二の次になり、過去の自分がいかに妻を孤独にさせていたかに気づきます。
一方、妻はカウンセリングの助けを得て元気を取り戻し、高収入の仕事を得たものの、残していった息子への思いは募るばかり。「息子を引き取りたい」と親権争いの裁判を起こしますが、現在の夫が過去とは違うことにも気づいていきます。
裁判で争いつつ、互いに相手を気遣う気持ちが生まれていく心理描写が、この映画の魅力です。裁判官の心証を良くするため、子どもを証言台に立たせることを勧めた弁護士に、夫が「それはだめだ、それならやめる」と負けを受け入れるシーン、息子を引き取りに来た妻が「やっぱりあの子の家はここ」と涙ぐむラストは、それぞれの成長を描いて、とても印象的です。
現代は、家庭を危うくする条件に満ちています。競争社会の中で、仕事はどんどん高度化し、ストレスをためこむ職業人は増える一方です。核家族の中での子育ては、お母さんの孤立を招きやすく、心身のバランスを崩す人も増えています。共働きをめぐる育児の夫婦分担のあり方がトラブルにつながることもしばしばです。こうした社会の中で、「だから子どもをつくらない」と選択するよりも、互いに気遣い合える大人の夫婦に成長していきたいものです。
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