エッセイ 銀幕 こころの旅



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◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」



障害の受容

◆自己の再発見にもなる

中日新聞朝刊 2006.06.2


 医師や弁護士といった職業に就くと、人間として偉くなったと勘違いする人がいます。ハリソン・フォード主演の映画「心の旅」(1991年、アメリカ)の主人公ヘンリーも、鼻持ちならない敏腕のエリート弁護士。
 ところがある日、ヘンリーはストアで強盗に遭遇します。頭を撃たれて前頭葉を損傷し、記憶喪失になってしまいます。妻子のことさえ思い出せず、リハビリ・センターで心を閉ざしていました。しかしトレーナーの明るく粘り強いケアによって次第に回復していきます。
 妻と娘は、自分たちのことを思い出せないヘンリーを悲しみますが、幼子のように純真で誠実な姿に喜びを感じるようになり、新しい家族関係を築いていきます。
 少しずつ言葉や文字を覚えていくヘンリーは、弁護士事務所に復帰しますが「月給泥棒」といった陰口に傷つきます。妻の過去をめぐるいさかいも起きました。でも、今のヘンリーは、お金や地位よりも大切なものがあることを知っていました。
 彼は、かつての「医療過誤」裁判で、病院側弁護士として不正な弁護をしていたことを知り、弁護士を辞める決意で、真相の証拠を原告の患者家族に届けます。「私は変わったんです」という宣言には、弱い立場を経験した人の強さがこもっていました。 「リハビリ」とは、損傷された機能の回復だけがゴールではありません。かつての能力が失われても、それに代わる新たな価値観を持って生きていける自己の再発見であると、この作品は語っています。
 日本でも、頭部外傷や脳血管障害で前頭葉が障害を受け、不自由な社会生活で困難を抱えている人たちがたくさんいます。さまざまな後遺症をかかえ、職場にも復帰できない人たちです。最近になって、こうした「高次脳機能障害」回復センターが日本でも設置され、専門のリハビリテーションセンターも拡充しつつあります。
 リハビリとは「全人間的諸権利の復権」という意味です。障害の受容と克服は多くの障害者の課題となっています。





眠り病

◆難病なのに理解されず

中日新聞朝刊 2006.06.9


 「ナルコレプシー」という病気をご存知でしょうか?突然、睡眠発作が起こり、深く眠ってしまう病気です。時や場所を構わず眠るので、仕事に支障をきたしたり、「怠け者」などと誤解されがちです。発症率は二千人に一人。日本人は六百人に一人で、世界一多いと推定されています。
 映画「マイ・プライベート・アイダホ」(1991年、アメリカ)でリバー・フェニックスが演じた主人公は、この病気をかかえたゲイの若者です。 十二歳のときに母親に捨てられ、故郷アイダホからポートランドに出てきて、体を売って生活していました。緊張するとすぐに眠ってしまうので、客のひんしゅくを買ったりします。この青年が、キアヌ・リーブス演じる若者と出会い、二人で母親捜しの旅に出かけます。
 ナルコレプシーの患者さんには、寝入りばなや起きがけに夢と現実の中間のような生々しい幻覚がよく現れますが、この映画でも、アイダホの風景が幻想的に描かれ、効果を高めています。さまざまな葛藤や失意を内に秘めながら、無邪気な幼児のように眠る主人公の姿が、美しくも悲しい作品でした。
 ジェームス・ディーンの再来と期待されていたリバー・フェニックスは、この映画の公開から二年後、薬物の過剰摂取により二十三歳の若さで世を去りました。
 ナルコレプシーは1880年にフランスで発見され、長い間原因不明でしたが、米国在住の日本人研究者によって脳内でオレキシンという物質を出す細胞が減少していることが解明され、これまで対症療法にとどまっていた治療の新たな道が開けました。
 中枢刺激剤で症状は軽減されますが、この病気と付き合っていくのは大変です。なのに、障害者自立支援法の対象になっていません。我が国のナルコレプシーの患者さんは、治療の難しさと社会の認知の乏しさという二重の不幸を味わっています。





不眠症

◆軽視せず早めに相談を

中日新聞朝刊 2006.06.16


  先週の「眠り病」に続いて、今週は「眠れない病」のお話をしましょう。
 「眠れぬ夜のために」(1985年、アメリカ)は、不眠症のエドを主人公にしたサスペンスです。ごく普通のサラリーマンだったエドは、一晩中眠れなくて悩んでいましたが、昼間の集中力が低下して仕事で行き詰まったうえ、妻の浮気を目撃してしまい、身の置き所を失ってしまいます。
 夜は、熟睡する妻を横目に一睡もできず、職場に行くと頭がぼーっとして、肝心なときに居眠り。そんなエドが、気分転換のために深夜の空港へドライブに行ったとき、何者かに追われる美女が車に飛び込んできます。そして国際密輸をめぐる事件に巻き込まれてしまいます。
 行く先々で殺人が起こり、逃走を続ける二人。何度も危険な目に遭ううち、美女とも仲よくなっていきます。
 現実の社会でも、多くの人が、家庭で夫婦のもめごとや子どもの問題、親の介護など、さまざまなストレスの種を抱え、仕事や職場の対人関係に悩んだりして、眠れなくなっていきます。
 眠りが妨げられたら、脳が癒やされる時がありません。放置すると、うつ病を発症する危険もあります。軽視せず、早めにメンタルクリニックに相談してください。
 治療は、適した時間帯(午後9時から午前9時)に快適な睡眠を取り戻すために
・寝酒、寝る前の喫煙などを避ける
・朝食をしっかり取って、午前中から体温が上がるような活動をする
・規則正しく食事をし、運動、娯楽など適度なリラクセーションをする
・早く眠ろうとしないで、朝決まった時刻に起きる習慣をつける
・眠りを誘う音楽、香り、寝室の湿度、温度、照度など、環境も調整する
・朝の散歩、夕方の適度なエクササイズ、寝る前のぬるめのお風呂
―などを試みます。
それでも眠れない場合には睡眠薬を利用します。不眠だからといって不夜城の世界に入り込むと、思わぬ事件に巻き込まれるかもしれませんよ。





がんばらない

◆やわらかな時間も必要

中日新聞朝刊 2006.06.23


  たまには、新作も取り上げましょう。今回紹介するのは、松竹映画「やわらかい生活」です。
 キャリア街道を突き進んできた主人公の優子(寺島しのぶ)は、両親と親友の突然の死でショックを受け、双極性障害と診断されます。
 双極性障害とは、そう状態とうつ状態が交互に訪れる病気で、いわゆる「そううつ病」です。薬を服用し、布団に潜り込むしかない日々が続きます。しかし、人間はつらい立場、弱い立場を経験することで、今までにない自分を見つけることがよくあります。優子にとって、東京の下町蒲田での新生活は、さまざまな男性たちとの「やわらかな関係」でした。
 うつ病のやくざ・安田(妻夫木聡)との居酒屋での会話に、今までにない気楽さを感じたり、出会い系サイトで知り合った建築家(田口トモロヲ)が実は痴漢だと分かっても、そのやさしさにひかれたり、偶然再会した元恋人とよりを戻そうとしたら、彼も病んでいることが分かったり。いとこの祥一(豊川悦司)が、優子の浮き沈みに振り回されながらも、かいがいしく世話をするのも、楽しい関係です。
 キャリアウーマン時代の優子だったら見向きもしなかったはずの男たちと、ゆるやかに結びつき、ゆったりと流れる時間。その中で少しずつ変わっていく登場人物たち。人生の中で「大切な時間」って何だろう、と問いかける作品です。フランス映画を思わせるような男女の描き方に、邦画の新たな可能性を感じました。
 今、わが国では働く人の200人に1人が、うつ病で休職しています。優子の場合も、発症のきっかけは喪失体験ですが、キャリアウーマンとして頑張り続けたことが背景にあるといえます。フルスピードで走り続けると故障も大きくなりますし、自殺の危険も出てきます。
 仕事が生きがいと頑張りすぎの方、長時間過密労働を強いる経営者の皆さん、ちょっと立ち止まって「ゆるやかで、やわらかな時間」について考えてみませんか。





きずな

◆血は水より濃い

中日新聞朝刊 2006.06.30


 血液のがん・白血病は、難病として知られています。造血細胞を含んだ骨髄を、ドナー(提供者)から患者さんに移植することが最も有効な治療法です。今回紹介する「マイ・ルーム」(1996年、アメリカ)は、わだかまりを抱えた親子、姉妹が、白血病をきっかけに心の扉を開いていく物語です。
 夫と別れ、二人の子どもを抱えて生活に追われるリー(メリル・ストリープ)。長男のハンク(レオナルド・ディカプリオ)は、母親と心を通わせることができず、家に火を付けてしまいます。家庭崩壊寸前のリーに、長年絶縁状態だった姉のベッシー(ダイアン・キートン)から20年ぶりに電話がかかってきました。ベッシーは白血病で、親族からの骨髄移植が唯一の希望なのだと言います。
 リーは家族を連れてフロリダの姉を訪ねます。かつて自分が捨てた故郷です。難病の身で、かいがいしく老親の世話をするベッシーの姿に、ハンクも次第に心を開き、ベッシーを救うために骨髄移植の検査を受けます。
 しかし、家庭の和解はすんなりとは進みません。リーとベッシーが激しく感情をぶつけあったり、ハンクが両親の離婚の真相を知ってショックを受けたりと、さまざまなドラマが続きます。曲折の末、死を受け入れたベッシーを囲んで、家族は固いきずなを結んでいきます。
 白血病の患者さんが骨髄移植を受けるには、HLA(ヒト白血球抗原)の型の合う人にドナーになってもらう必要があります。型が合う確率は、きょうだい間でも25%。非血縁者だと数百人から数万人に1人といわれます。生と死を分ける骨髄移植の陰には、本人や家族の歓喜、葛藤(かっとう)、失意などさまざまな思いがあります。
 現在では、世界各国に骨髄バンクが設けられ、非血縁者間の骨髄移植が盛んに行われるようになり、患者さんたちに大きな福音をもたらしています。治療法の進歩とともに、放射能などの有害な環境の改善が重要なことは言うまでもありません。



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