エッセイ 銀幕 こころの旅



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◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」


患者の立場

◆本当のつらさが分かる

中日新聞朝刊 2006.08.4


  「先生は病気をしていないから、患者の本当のつらさは分からないでしょう」と言われたことがあります。でも、医者がすべての病気を追体験しては医療が成り立ちません。病気にならなくても患者さんの苦悩を理解し、共感できるのが医者だと思うのですが、現実はどうでしょうか。
 映画「ドクター」(1991年、アメリカ)で、ウィリアム・ハートが演じた心臓外科医ジャックは、腕が立ち、ユーモアのセンスもあるエリート医師です。でも、患者さんの痛みがわかりません。音楽をかけて歌いながら難手術をこなし、若いインターンたちには「患者に特別な感情は抱くな」と教えます。ていねいに患者さんと接する外科医のことをあざ笑ったりしていました。
 そんなジャックがある日、のどの異変を感じます。勤務先の病院を受診した彼は、待合室で長時間待たされた揚げ句、医師の都合で検査日時を変更され、誤って浣腸(かんちょう)までされてしまいます。
 診断は喉頭(こうとう)がんでした。主治医は優秀な女医で、てきぱきと指示をするものの、心が感じられません。すべて医療側のペースで行われる治療に、ジャックは怒りやいらだちを感じるようになり、これまでの自分を反省します。そして、バカにしていた外科医に謝罪し、治療を求めます。
 死の不安に苦しむジャックを救ったのは、脳腫瘍(しゅよう)の女性患者ジューンでした。死を受け入れ、明るくふるまう様子に、ジャックは自分にない強さを感じ、ひかれていきます。そして、自分が弱みを見せられない人間であり、ずっと悩んでいたことをジューンに告白します。
 放射線治療で頭髪が抜け落ちたジューンとジャックが、砂漠に沈む夕日を浴びながらダンスするシーンの美しさは忘れられません。
 ジューンとの思い出を胸に職場復帰したジャックは、インターンたちに七十二時間の“患者生活”を課します。薄っぺらな検査着を着せられ、入院するつらさを体験させるためでした。
 相手の立場を理解し、相手から学ぶことで人間は成長していきます。医者も例外ではありません。

 



陽気な挑戦者

◆困難もさらり受け止め

中日新聞朝刊 2006.08.11


  患者さんから、お勧めの映画を教えてもらうことがしばしばあります。統合失調症と長年付き合っているAさんが、ある日の外来で勧めてくれたのが「クール・ランニング」(1993年、アメリカ)。ジャマイカのボブスレーチームを描いた作品です。
 ジャマイカといえば、レゲエで知られる常夏の島国。氷上のボブスレーとは縁もゆかりもなさそうですが、実際に1988年のカルガリー冬季五輪に初出場し、続くリレハンメル冬季五輪では、十四位に食い込んで話題を呼びました。映画は、カルガリーへの挑戦を楽しいドラマに仕上げています。
 陸上の短距離選手だったデリースは、五輪選考会で本命視されながら、隣コースの選手ジュニアの転倒に巻き込まれ、夢を絶たれます。でも、すぐに次の目標を見つけました。脚力が要求されるボブスレーでした。かつての金メダリスト・アーブがジャマイカですさんだ暮らしをしていることを知り、粘り強く説得してコーチを引き受けてもらいます。
 チームに集まったのは、デリースの親友のサンカ、陸上のライバルだったユル、そして転倒事故で二人の五輪出場の夢を絶ったジュニア。素人ばかりの集団ですが、恵まれた素質が猛特訓で開花していきます。出場費用もなんとか解決しました。
 厳寒のカルガリーに来た選手たちは、強豪国の選手たちから冷笑を浴びます。最初のレースは悲惨な成績でした。でも「強豪のまねじゃなくて、自分たちの流儀でやろうぜ」と開き直り、見違えるような好成績で予選を突破しました。戦いを通じて、若者たちは成長していきます。今まで強い父親の言いなりだったジュニアも、父親の命令を初めて拒否して競技を続けます。決勝でチームが得たものは、メダルよりもはるかに大きな「誇り」でした。
 困難をさらりと受け止め、陽気に挑戦していく若者たちの姿が、元気を与えてくれる映画です。ちなみに、ジャマイカの自殺率(人口10万あたりの自殺者数)は、0.3で、日本の80分の1です。底抜けの楽天性と不屈のチャレンジ精神。私たちに欠けている大切なものを教える作品です。





鉄人

◆難病にも立ち向かった

中日新聞朝刊 2006.08.18


  今年のセントラルリーグは、中日ドラゴンズが好調で、私の住む名古屋の街は沸いています。甲子園も白熱する今、野球映画を紹介しましょう。
 鉄人ルー・ゲーリッグの人生をゲーリー・クーパーが演じた「打撃王」(1942年、アメリカ)は、古き良き時代のメジャーリーグの雰囲気を伝える作品です。
 ニューヨーク・ヤンキースのゲーリッグといえば、本塁打王ベーブルースとコンビを組み「史上最強の三、四番コンビ」と恐れられました。通算打率は実に三割四分。1934年には三冠王にも輝きました。それ以上に知られているのが、二千百三十試合連続出場の大記録です。
 貧しい家庭で育った彼は、とても努力家で、家族思いの人で、ファンからもチーム仲間からも敬愛されていました。映画は、彼の栄光への道や、結婚、愛情豊かだけれど口うるさい母親とのやりとりなどを丁寧に描いていきます。驚くことに本作品にベーブルース本人も出演しています。
 しかし、好調はいつまでも続くとは限りません。三十八年のシーズン後半、突然病魔が襲います。スパイク靴のヒモをほどけなかったり、道路の縁石につまずいたり、手足が思うように動きません。
 低下した打率は翌シーズンも復活せず、ついに自ら監督に申し出て、連続試合出場の記録に終止符を打ちます。その二年後、彼は三十七歳の生涯を閉じました。
 鉄人を襲ったのは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気で、別名「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれています。運動を支配する神経が少しずつ失われ、体中のあらゆる筋肉がやせていき、徐々に身体を動かせなくなる難病です。
 それでも、彼は最後まで鉄人でした。映画のラストは引退式典のシーン。「皆さんには心配ばかりかけました。私は世界で一番幸せな人間だと思っています。」のメッセージが心に染みます。
 謙虚な人柄、飛び抜けた成績、病苦に雄々しく向かい合った姿を通じて、ルー・ゲーリッグは不滅のスターになりました。

 



嫉妬

◆相手も自分も焼き滅ぼす

中日新聞朝刊 2006.08.25


  自分の得意分野で、自分より若くて、はるかに優秀な人に出会ったら、あなたはどんな感情を抱くでしょうか。
 年齢を気にせず、相手の才能を尊敬し、学ぶ姿勢を持てれば、良好な人間関係を築いていけるでしょう。でも、相手をねたみ始めると、憎しみの感情や復讐(ふくしゅう)心が膨らんでいくものです。
 十八世紀後半のオーストリアの天才作曲家モーツァルト。その生涯と謎の死を描いた「アマデウス」(1984年・アメリカ)は、「嫉妬(しっと)」をテーマにした作品です。
 この映画で描かれるモーツァルトは、下品なジョークを言って高笑いにする、礼儀知らずの若者です。でも、才能は飛び抜けていました。宮廷に招かれた際、宮廷音楽家サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)が作った曲を一度聴いただけで覚え、アドリブで演奏しながら、変な部分を修正してしまいます。サリエリの面目は丸つぶれです。
 モーツァルトの作品集の楽譜を見たサリエリは、その「神の響き」に、激しいショックを受け、敗北感にうちひしがれます。信心深いサリエリがずっと神に祈り続けても、得られなかった才能でした。
 彼は、神が下品な若者に才能を与えたことを恨み、神と決別します。そしてモーツァルトの音楽をだれよりも愛しつつ、あらゆる策を弄(ろう)して彼の成功を妨害していきます。
 時の皇帝ヨーゼフ2世は、音楽が大好きだけれど、才能のない人でした。取り巻きの音楽家たちのねたみも加わって、モーツァルトの音楽は不当に扱われ、彼は失意の日々を送るようになります。そしてサリエリが仕掛けた罠(わな)にかかり、体力と気力の限界まで曲作りに打ち込む中で、三十五歳の若さで世を去ります。
 サリエリに残されたのは、復讐の快感ではなく、精神病院の片隅で寂しく過ごす後悔の日々でした。
 老いたサリエリの回顧の形でつづられた「アマデウス」は、音楽ファンもミステリーファンも満足できる見事な娯楽作品です。そして「嫉妬の炎は、相手も自分も焼き滅ぼしてしまう」ことも教えています。





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