エッセイ 銀幕 こころの旅



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◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」



愛のかたち

◆罪深い芸人と天使の旅

中日新聞朝刊 2006.09.01


  男と女には、いろんな愛の形があります。イタリアの巨匠フェリーニの「道」(1954年)は、乱暴な大道芸人と、純真な助手の女性の、せつない二人旅を描いた作品です。
 ザンパノ(アンソニー・クイン)は、怪力男。胸に巻き付けた鎖を断ち切る大道芸でお金を稼ぎながら、オート三輪で各地を旅しています。
 その助手に雇われたのが、少し知的な遅れのある女性ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)でした。当時のイタリアでは、人身売買のようなことが残っていたようで、ザンパノは親に大金を払って、彼女を買ったのです。
 ザンパノは、木の枝を鞭(むち)にしてジェルソミーナに体罰をふるい、芸を仕込みます。夜は、性のはけ口にします。でも、ジェルソミーナはいつも好奇心いっぱい。ザンパノと一緒にお客さんを喜ばせることにやりがいを見いだし、旅の日々を楽しむようになります。ただ、他の女性と平気で寝るザンパノにだんだん怒りがわいてきて、「私は何なのか」と悩み、逃げ出そうとして、殴られたりします。
 ある日、サーカスで芸を披露していたザンパノは仲間との暴力ざたで収監されました。サーカス仲間はジェルソミーナに、別れるように説得しますが、彼女は「私がいなくなったら、彼はひとりぼっちよ」と聞き入れません。
 ザンパノも、いつしかジェルソミーナに愛情を抱きますが、不器用な性格が災いして、気持ちを伝えることができません。そして、とんでもない事件が起こり、ジェルソミーナは心を病みます。ザンパノはおろおろしながらも、どうすることもできず、彼女を残して旅立ちます。数年後、旅先で彼女の死を知って、激しい後悔に身をよじって泣き叫ぶのです。
 フェリーニは、ザンパノを罪深い人間の象徴として、ジェルソミーナを天使の化身として描いているようです。ザンパノはとんでもない男なのに、見ていて憎めないのはなぜか?そんなことも考えながら、半世紀前の名優たちの演技を味わいたいものです。

 




中年期

◆真剣な勉強にいい時期

中日新聞朝刊 2006.09.08


  「男はつらいよ」で有名な山田洋次監督は、現代の問題を庶民の視点で描ける人です。1993年の「学校」から2000年の「十五才 学IV」までの学校シリーズは夜間中学、養護学校、職業訓練校を舞台に、若者たち、大人たちの息吹をいきいきと伝えました。その中から「学校III」(98年)を紹介します。
 主人公の紗和子(大竹しのぶ)は、夫が過労死し、十六歳の息子には自閉性障害があり、事務員の職をクビになったばかり。再就職に必要な「ビル管理」の資格を得るために職業訓練校に入ります。そこには、再就職を目指す中年男がいました。
 中でも最も偏屈だったのは、リストラで証券会社の部長を辞めさせられた高野(小林稔侍)。昔の縁故頼みの再就職も失敗し、家族との関係も悪化。クラスの仲間とも交わろうとせず、身勝手な行動をしてひんしゅくを買います。 でも、障害児を抱えながら前向きに生きる紗和子に次第にひかれていき、紗和子も高野を意識するようになります。恋がすんなりと進むはずはなく、いろんな事件が起き、仲間たちはけんかをしたり、助け合ったりしながら、学校生活を送ります。
 バブル崩壊後の不況を時代背景に、中年の庶民の”青春群像”が楽しく、せつなくて、寅(とら)さんシリーズに通じる魅力を感じます。自閉症の子と母のエピソードは、鶴島緋沙子さん著の「トミーの夕陽(ゆうひ)」をもとに、山田監督が書き下ろしました。ひたむきでどこかほほえましい自閉症の子の不思議な魅力が、作品の感動を高めています。
 考えてみれば、中年期とは何かを勉強することに適した時期だといえます。人生体験を積んでいろいろ苦労した分、たくましさや集中力が身に付きますし、自分の役に立つことを真剣に学ぶ姿勢を持っている人が多いです。 そのパワーを勉強に生かし、情報を得たり、新しい仲間をつくったりすることが、老後の幸せにつながっていく気がします。学校の中に一人の大切な人生があり、人生がまた学校でもあることをしみじみと語りかける作品です。





愛憎

◆感情はいつの時代も同じ

中日新聞朝刊 2006.09.15


  力持ちで、純情一途な男と、美貌(びぼう)を武器に権謀術数をこらす女−。古くから、映画でおなじみのパターンです。現実に「男は単純で、女はずる賢い」かどうかはともかく、物語の構図として分かりやすいのでしょう。
 古いアメリカ映画「サムソンとデリラ」(1949年)は、旧約聖書のお話をもとに、無類の怪力男サムソンと、悪女デリラの愛憎を描いた作品です。
 ヘブライ人は、パレスチナの先住民・ペリシテ人に支配され、苦難の日々を送っていました。しかし、サムソンには、ペリシテの軍隊も手が出せません。ライオンを素手で倒すほどの力持ちなのです。
 そんなサムソンがペリシテ人の娘セマダールに恋をして求婚します。でも、セマダールの姉デリラが横恋慕して、結婚式を妨害し、混乱の中でセマダールは死んでしまいます。
 失意のサムソンにデリラは言い寄りますが、振り向いてもらえません。腹を立てたデリラは、今度は復讐(ふくしゅう)のために彼を誘惑します。デリラの肉体的魅力におぼれたサムソンは、髪の毛を切れば自分の怪力がなくなるという秘密を打ち明けてしまい、ペリシテ軍の捕虜になります。
 失明させられ、鎖で縛られたサムソンの姿を見て、デリラは激しく後悔し、サムソンを助けようとしますが、彼はそれを拒否します。そして、よみがえった力を使って、ペリシテの神殿を破壊して、敵を道連れに死んでいきます。
 おとぎ話の世界ですが、そこに描かれている感情や行動には、今も昔も大きな違いはありません。電話から携帯メールへと交信技術だけは進化していますが、対人感情は進歩しているとは言い切れません。美しいものや強いものへのあこがれと独占欲、横恋慕、嫉妬(しっと)、憎悪、誘惑、復讐…。今日の犯罪の多くも、こんなところから生まれています。
 最後になってデリラは本当の愛に気づき、サムソンは民族の英雄となりました。このお話はサンサーンスの歌劇やルーベンスの名画にもなっています。



 


性差別

◆暴力による支配に反旗

中日新聞朝刊 2006.09.22


  アメリカの黒人たちをめぐる人種差別の歴史については、だれもがご存じだと思います。しかし、同じ黒人同士で女性が男性からの性差別やドメスティックバイオレンス=DV(配偶者からの暴力)=に苦しんできたことは、どれだけの人が知っていたでしょうか。
 今回ご紹介する「カラーパープル」(1985年、アメリカ)は、黒人女性の大河ドラマです。
 舞台は、20世紀初頭の南部ジョージアの小さな町。セリーは父親からの性虐待によって、二度にわたり妊娠・出産。その赤ちゃんもどこかに引き取られ、セリーは、横暴な男ミスターのもとに嫁がされます。口答えは許されず、暴力で支配される日々。人間としての尊厳はずたずたになり、夫から「醜い」と言われて、笑うときは歯を見せないほどでした。
 やがて、妹のネッティも父親から逃げて家に転がり込んできますが、ミスターとの性関係を拒んだために追い出され、姉妹は生き別れになります。
 ある日、ミスターの愛人のブルース歌手シャグが病気になって家に転がり込んできて、同居する間にシャグとの不思議な友情が生まれます。
 美しい心と自立の精神を持つシャグに、目を開かせられたセリーは、自分も人間であること、未来があることに気づいていきます。そして、長年にわたって夫がネッティから来た手紙を隠していたことを知り、セリーは暴力を恐れず夫に反旗を翻し、家を出ます。
 登場人物のほとんどは黒人です。だらしなくて横暴な男性と、たくましい女性を対比的に描きつつ、和解、救い、再会のドラマを盛り込んで、感動を高めています。何より、成人後のセリーを演じたウーピー・ゴールドバーグの演技は圧巻です。
 原作は、アリス・ウォーカーのベストセラー小説。スティーブン・スピルバーグが監督し、評判を呼びました。
 暴力による配偶者への支配は、今日でも後を絶ちません。DVに象徴される陰湿な暴力は、人間の尊厳の蹂躙(じゅうりん)であり、被害者は泣き寝入りしてはいけないことを、この映画は静かに、強く教えています。





ふるさと

◆身近な美しさを再発見

中日新聞朝刊 2006.09.29


  身近すぎるために、魅力に気づかないことが、人生ではよくあります。生まれ育ったふるさとの魅力も、成長するにつれて見えてくるものです。
 イタリアの小さな島を舞台にした「イル・ポスティーノ」(1994年)は、島の素朴な青年が異邦人との出会いの中でふるさとを愛する心を育てていくさまを描いた美しい映画です。
 1950年代のチリからイタリアに政治亡命してきた詩人パブロ・ネルーダは、ナポリ沖の小さな島に居を構えます。その島の青年マリオは、漁師の父の後を接ぐ気にはならず、自分探しを続けていました。マリオは、郵便配達の仕事に就き、パブロの家に郵便を届けるうちに、年の差を超えた友情が芽生え、マリアは次第に詩の世界にひかれていきます。
 島の自然の中に身を置き、わき出てくるイメージを言葉にしていく中で、島の美しさを再認識していきます。そして、食堂に働く女性に一目ぼれし、パブロの応援を得て情熱的な詩をささげ、恋を実らせます。
 しかし、チリの政治状況が変わって、パブロは故国に戻り、マリオのことなど忘れてしまったかのように、手紙も来ません。「もうお前のことなんか、覚えていないよ」と冷ややかな周囲の声をよそに、マリオはパブロのために、島の「美しい音」を録音機で集めます。
 さざ波、風の音、漁師の網ひきの音…。マリオにとって「ふるさと再発見」の体験でした。
 数年後、パブロが島を訪ねてきた時、マリオは既に世を去っていました。島の暮らしを良くするために政治活動を参加し、集会の混乱に巻き込まれて命を落としたのです。
 マリオ役の喜劇俳優マッシモ・トロイージは、心臓の難病に侵されながらもこの映画を完成させ、間もなく亡くなりました。実在の詩人ネルーダを演じた名優フィリップ・ノワレは、撮影中ずっとマッシモを気遣い、励まし続けたそうです。そんなエピソードが、映画の二人の名演技と重なります。

 



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