◆本当の気持ちを出そう
中日新聞朝刊 2007.3.2
「アイリスへの手紙」(1990年・アメリカ)
人は、自分を守るために鎧(よろい)をまといやすいものですが、本当の気持ちを偽ったり、知ったかぶりをしたりしていると、幸せをつかみそこねることがあります。「アイリスへの手紙」は、心の鎧を脱いで、素直になることが大切だと語りかける作品です。
中年女性のアイリス(ジェーン・フォンダ)は、夫を亡くした衝撃から立ち直っていないのに、悲しみを隠して工場では仕事に励み、家に帰ると、二人の子ども、同居する妹夫婦の世話でクタクタです。
ある日、アイリスは工場の食堂の調理人コックス(ロバート・デ・ニーロ)と知り合いました。頼もしくて料理の腕も確かなのに、なぜか人と交わらず、無口で気難しい人でした。やがてアイリスは、彼の秘密に気づきました。行商人の父とともに子ども時代を過ごし、きちんと学校に通えなくて、文字を読めなかったのです。
その事実が工場側にも知られ解雇されます。無収入となったコックスは、老いた父を老人ホームに入れますが、危篤を知らせる電報が読めず、父の死に目に会えませんでした。
自分の弱点を隠し人を避けてきたコックスでしたが、その時初めて、アイリスに「字を教えてくれ」と頼みます。
個人授業が進むにつれ、二人は親密になり、ベッドを共にしますが、アイリスは夫を思い出して泣いてばかりで、うまく愛し合えません。コックスも授業の中でプライドを傷つけられ、腹を立ててしまいます。
でも、お互いに反省し、求め合っている気持ちを確かめた時、二人を取り巻く世界は急速に変わっていきました。コックスは文字で考える世界を知ることで才能が開花し、有能な技術者になります。見違えるほどきれいになったアイリスも、夫の死を乗り越えることができました。
コックスの無骨さ、純粋さをデ・ニーロは見事に演じ、いろんな教訓を秘めた中年男女のおとぎ話です。
◆組織の論理より家族思う心
中日新聞朝刊 2007.3.9
ブルースカイ(1994・アメリカ)
目立ちたがりで、セクシーで、かんしゃく持ちの奥さんが、愛する夫を救うために大活躍するという映画「ブルースカイ」を紹介しましょう。
舞台は、冷戦まっただ中の1960年代のアメリカ。マーシャル少佐(トミー・リー・ジョーンズ)は、核実験に携わる軍人です。妻のカーリー(ジェシカ・ラング)は評判の美人で、パーティーやダンスが大好き。でも、気に入らないことがあると怒鳴り散らし暴れるので、二人の娘たちもうんざりしています。
夫の転勤で新しい基地に来たカーリーは、住居が気に入らずに大暴れ。パーティーでは機嫌を直して上官の大佐と抱き合って踊り、夫をやきもきさせます。
そんなある日、マーシャルはアラバマの砂漠で行われた「ブルースカイ」という暗号名の核実験で、民間人が被ばくしたことを目撃し、すみやかに治療するように上層部に訴えますが、軍は事実を隠します。
同じころ、夫の留守中に羽目をはずしすぎたカーリーは大佐と浮気し、娘に見つかってしまいます。軍は、マーシャルの口封じのためにこのトラブルを利用し、大佐に調査を進言したマーシャルを精神不安定として入院させます。
薬で思考力を奪われ、変わり果てた夫の姿に衝撃を受けたカーリーは、夫を助けるために核実験直前の砂漠に馬で乗り込みます。わざと逮捕されてマスメディアの注目を集め「動機を公表されたくなかったら、夫を自由にしなさい」と、軍に交渉したのです。女優志望だったカーリーの一世一代の大芝居でした。
マーシャルは軍を辞め、新天地カリフォルニアで教師になるために一家で旅立ちます。
ふしだらと思われてきたカーリーは、実は澄んだ青空のような心の持ち主で、誰よりも勇敢で正直でした。立派な軍人と思われてきた上官たちは、組織の論理に縛られ、人間らしさを失っていたのです。そんな対比が痛快です。
◆愛の方程式で克服
中日新聞朝刊 2007.3.16
「ビューティフル・マインド」(2001年、アメリカ)
ジョン・ナッシュをご存じでしょうか?1994年にノーベル経済学賞に輝いた数学者で、統合失調症だったことでも知られています。「ビューティフル・マインド」は、ナッシュの伝記をもとに、夫婦のきずなを描いた映画です。
作品の中核をなすのは「妄想」です。ご覧になるときの楽しみが半減するので詳しくは書けませんが、観客にも何が現実なのか分からないまま、スパイ映画のようなストーリーが進みます。ナッシュ(ラッセル・クロウ)は国際的な陰謀に巻き込まれ、そこに大学時代の親友や精神科医も登場します。
後半は一転して、ナッシュと妻アリシア(ジェニファー・コネリー)の愛情物語。症状が落ち着き、在宅で療養するナッシュは、薬の副作用で性欲が減退します。妻を悲しませたくないと、ナッシュは薬を飲まずに隠すようになり、そのために妄想が再発してしまいます。
「入院は嫌だ」と暴れるナッシュ。アリシアは夫の手を取って自分の胸にあて「現実と妄想の違いは、頭で考えるものじゃなくて、心で感じるものよ」と語りかけます。
治療が功を奏して、大学の図書館で研究を続けられるようになったものの、妄想はつきまとい、学生たちから気味悪がられたり、嘲笑を浴びたりします。長い年月を経て、学者として最高の栄誉を得た彼は、ノーベル賞の受賞スピーチで「この世の真理は、複雑な愛の方程式の中にあることを知った」と、アリシアに感謝をささげるのです。
治療を続けても、しつこく現れる妄想は、統合失調症の代表的な症状で、社会復帰の妨げとなっています。でも、妄想が完全には消えなくても、周囲が理解し、うまく付き合えたらちゃんと生活することは可能だと、ナッシュは身をもって証明しました。
今では薬物療法も格段に進歩しましたが、家族や周囲の支えの大切さは今も変わりません。
◆自分の思い 正直に貫く
中日新聞朝刊 2007.3.23
「アパートの鍵貸します」(1960年、アメリカ)
自分の意に反して、上司の言うことを聞かざるをえないのがサラリーマンの常。組織に縛られる悲哀、つらさを五十年近く前に明るく風刺したのが、名作「アパートの鍵貸します」です。
ニューヨークの保険会社に勤めるバド(ジャック・レモン)は、出世に燃える社員。自分の住むアパートの部屋を、上司たち四人の不倫デート用に貸し出して、取り入っています。わがままな上司たちの日程の調整、部屋の鍵の受け渡しに、バドは大忙しです。
ある日、バドは人事部長に呼び出されます。部屋のあっせんがばれてしかられるのかと思ったら「私も仲間に入れろ」という申し出。見返りに異例の昇進を保証してくれました。喜んで応じたバドでしたが、人事部長のお相手は、バドがひそかに思いを寄せていたエレベーター嬢のフラン(シャーリー・マクレーン)。バドの心は揺れます。
一方、フランは、妻と離婚すると言いながら行動に移さない人事部長に腹を立てていました。バドの部屋でのデートの後、フランは部屋にあった睡眠薬を大量に飲んでしまい、大騒ぎに。その看病をするうちに、バドは自分にとって一番大切なものは何かに気づきます。
妻との離婚が成立し「また部屋の鍵を貸してくれ」とねだる人事部長にバドはきっぱり「嫌です」と拒否し、会社を去ります。それを知ったフランは、人事部長への思いを断ち切り、バドのアパートへ走るのです。
本物の愛を培っていく二人と、浮気っぽい上司たちの「偽りの愛」の対比が鮮やかです。自分の思いに正直であることが幸せへの道だと決断する勇気に観客は感激し、爆発的なヒットを記録しました。もちろん観客たちは「現実はこんなふうにいかない」と知りつつ、つかの間の逃避を求めていたのかもしれません。
半世紀後の今日、企業社会は巨大化、非人間化が進行し、心を病む人が増え続けています。
◆アスペルガーへの理解を
中日新聞朝刊 2007.3.30
「モーツァルトとクジラ」(2004年、アメリカ)
自閉症の正しい知識を世に広めた「レインマン」を、以前にこの欄で紹介しました。その脚本を手がけたロナルド・バスが、アスペルガー症候群の青年を主人公に書き上げたのが、この春各地で公開されている「モーツァルトとクジラ」です。
アスペルガー症候群とは発達障害の一つで、簡単にいえば、知的障害がほとんどない自閉症のこと。かつては数千人に一人ほどの発生率だと考えられてきましたが、早期診断が進むにつれて、その数は増え、最近では「百人に二人」ともいわれています。立派に社会生活を送っている人も多いのですが、人の気持ちを推し量ることが苦手で、一般の人には理解しにくいこだわりがあり、人間関係に苦しむことが多い障害です。
ドナルド(ジョシュ・ハートネット)は、タクシー運転手で、数学の天才です。自らアスペルガーの会を設立したリーダーでもあり、仲間の信頼も厚いのですが、視界に入る数字を片っ端から素数分解するこだわりがあり、気味悪がられたり、さまざまな失敗も重ねています。
そんなドナルドが、アスペルガーの会の新しい仲間・イザベラ(ラダ・ミッチェル)と恋に落ちます。彼女は美容師で、絵画の才能があり、動物に愛情を注いでいますが、自分の感情をありのままにさらけ出すので、トラブルを起こしてばかりです。レイプというつらい過去もありました。
相手の気持ちを察することが苦手な二人。その関係は、当然ながら、波瀾(はらん)万丈です。「普通でないこと」を意識しすぎて、傷つけ合ってしまったり、仲間たちのやきもちも絡んできます。幾度ものピンチを経て、二人は気づきます。何より大切なものは、相手をいとおしく思う気持ちなんだと。
私の勤める大学でも、アスペルガー症候群の人たちが学び、社会に巣立っています。実話に基づいたこの作品を通じて、彼らへの理解と共感が広がることを祈ります。
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