エッセイ 銀幕 こころの旅



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銀幕 こころの旅

シネマシリーズ

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◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」



愛の証明

◆相手を理解し信じること

中日新聞朝刊 2007.4.6


「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(2005年、アメリカ)
 病気や障害の人を介護する家族の葛藤(かっとう)は壮絶です。特に、若くて夢や才能を持つ介護者の場合、その苦悩は一段と重くなります。
 映画「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」の主人公・キャサリン(グウィネス・パルトロウ)も、そうした受難を抱えた娘でした。天才数学者の父親(アンソニー・ホプキンス)が重度の精神疾患になり、自分の世界に引きこもります。その父の才能を受け継ぎ、数学者を志していたキャサリンですが、あえて大学を中退し、五年間、父の介護に専念します。
 その父が亡くなり、キャサリンは途方にくれるうちに、次第に怒りがわいてきます。葬儀の参列者に「今までどこにいたの。父に何をしてくれたの」と非難し、姉にも八つ当たりします。尊敬する父の精神の安定が崩れていくのに、誰も助けてくれず、自分だけが犠牲になったという思いから、怒りがこみ上げたのです。
 姉は、キャサリンも父と同じ病気になったと疑い、家を処分して妹を引き取ることを決意します。キャサリンを支えたのは、父の弟子のハル(ジェイク・ギレンホール)でした。「前から好きだった」という言葉に応えて、恋に落ちます。でも、自宅に残ったノートに、画期的な定理の証明が記されていたことで、一大騒動に。「ノートを書いたのは私」というキャサリンの言葉を、誰も信用しません。 
 本当は、父娘が同時に結論に達した証明だったのですが、キャサリンはその名誉以上に、恋人が信じてくれなかったことに衝撃を受けて、こう叫びます。
 「証拠はどこにもないわ。でも大切なのは、私への信頼よ」と。
 混乱の末、二人は「困った時には、最初に戻って一つずつ解いていく」という父の教えの意味に気づきます。数学の「証明」を、愛する人との関係に重ねて、相手を理解し、信じることの大切さを説いた作品です。自らの人生の証明を、皆さんはどこに求めますか。





生命の営み

◆人智を超えた神秘の力

中日新聞朝刊 2007.4.13


「インナースペース」(1987年、アメリカ)
 宇宙空間へ、恐竜の島へ。映画は私たちをさまざまな夢の世界にいざなってくれます。「インナースペース」は、人体という神秘の空間を舞台にしたコメディーです。
 ある研究所で、人間をミクロ化する計画が進められ、元パイロットのタック(デニス・クエイド)が小さな体になって、探査艇に乗せられ、ウサギの体内に入ろうとします。でも、ミクロ化のかぎを握るマイクロチップをめぐって、スパイが暗躍し、ドタバタの中で探査艇は、たまたま居合わせた若者ジャックの体内に入る羽目に。酸素の残り時間は二十四時間。それまでに脱出しなければなりません。
 事態の深刻さに気づいたタックは、探査艇を内耳まで移動させて、ジャックとの交信に成功。ジャックは、タックの恋人リディア(メグ・ライアン)とともに、スパイをマークしますが、スパイもさるもの。盗み出したチップを使って、ジャックの体内に入り込んでしまい、体内で熾烈(しれつ)な戦闘が繰り広げられます。
 タックは、たびたびの危機を切り抜け、強酸性の胃液を使って敵を退治し、くしゃみとともに体外に脱出することができました。
 年配の方は「ミクロの決死圏」(1966年)という映画をご記憶かと思いますが、「インナースペース」はそのリメーク。人体の仕組みが、SFX(特殊撮影)の技術を駆使して描かれています。テクノロジーが発達し、治療法も日進月歩の中、体内をめぐる探査艇がいつの日にか登場するのでは、といった思いにもかられます。
 日ごろ元気に過ごしていると、自分の体について考える機会は乏しいものです。私たちが起きているときも寝ているときも、体の中を血液がめぐり、さまざまなホルモンが分泌され、神経系を電流が流れ、生命活動が維持されています。トラブルに対応する精密な機能には、人智を超えた不思議な力を感じます。
 脳と心を酷使しがちな皆さん、たまの休日に、こうした映画でリラックスしてみては。

 



愛のジレンマ

◆絡まり合う打算と純情

中日新聞朝刊 2007.4.20


「蜘蛛女のキス」(1985年、ブラジル・アメリカ)
 古くから映画は、さまざまな愛を描いて、観客を魅了してきました。今週ご紹介する「蜘蛛女のキス」は、男同士の愛のお話です。
 舞台は、南米の刑務所。主人公のモリーナは映画好きのゲイで、不道徳罪で服役中です。そこに政治犯のバレンティンが入ってきました。バレンティンは、革命への志と愛する恋人への思いを抱いて心を閉ざし、拷問にも口を割りません。でも、モリーナが大好きな映画の愛の世界を語り聞かせるうち、二人は打ち解けていきました。
 モリーナには密約がありました。刑務所長から、「バレンティンの仲間の情報を聞き出したら、刑務所を出してやる」と言われていたのです。でも、だんだん本気でバレンティンを愛してしまい、板挟みになって悩みます。やがて、肉体関係を持つまでになってしまいますが、バレンティンはモリーナの秘密に気づきません。極秘情報を所長に伝えたモリーナは、出所が決まりますが、バレンティンから革命の同志に重大なメッセージを伝えてほしいと依頼されるのです。
 そして自由を手に入れたモリーナは、約束を果たすために危険地域を訪れ、命を落としてしまいます。自分がバレンティンから愛されていないことを知っていながら、愛する男のために命をかけたのです。モリーナを演じたウィリアム・ハートの悲しい目は、多くの観客に感動を与え、アカデミー主演男優賞など多くの賞を総なめにしました。
 互いに、相手をクモの糸にからめとろうとして、自分がからめとられてしまう愛のジレンマ。この映画の主題は相当に奥が深い。
 でも、よく考えてみれば、現実の社会でも恋人たちの関係は、いろんな打算や独占欲、それに支配欲もからんでいますし、それでいて相手のために尽くしたいという純粋な思いもあふれている。人間は複雑だからこそおもしろい。心温まる、でも息苦しく汗ばむ作品です。





国家と個人

◆支えになるのは何か

中日新聞朝刊 2007.4.27


「ドクトル・ジバゴ」(1965年、アメリカ・イタリア)
 国が国民の幸せを守ってくれない社会になったら、人は何を支えに生きていくのでしょうか。ロシア革命を背景に、ある医師の生涯を描いた「ドクトル・ジバゴ」は、国家と個人の関係を鋭く問いかけた名作です。
 主人公ユーリー・ジバゴ(オマー・シャリフ)は有名な詩人でもある医師です。幼いころに両親を亡くし、悪徳弁護士に遺産を奪われ、社会の矛盾を身に染みて感じます。民衆が革命運動に熱狂する最中も、ジバゴは疑問を抱き続けます。理念や理想より先に、一人一人の命を守れる社会であるべきではないかと。
 そんな思いから、ジバゴは第一次大戦中の野戦病院で兵士の医療に情熱を注ぎ、戦地から戻った後は貧困と統制から必死で家族を守ろうとします。革命の嵐の中、上流階級の一家は激しい略奪を受けたのです。
 ジバゴは、苦楽を共にした妻トーニャ(ジェラルディン・チャプリン)を愛しつつ、野戦病院で出会った看護師ラーラ(ジュリー・クリスティ)への思慕の情も募ります。ラーラは、悪徳弁護士の愛人にされそうになって発砲したほどの情熱家で、行方不明になった革命家の夫を捜して戦地に来ていました。
 義兄の勧めで混乱のモスクワからウラル地方へ逃れたジバゴは、そこでばったりラーラと再会し、激しく結ばれますが、身重のトーニャを見て反省し「もう会わない」とラーラに告げるのです。その帰路に、共産ゲリラに拉致されてしまいます。何とか脱出するのですが、今度はラーラに命の危機が…。
 自分の思いに忠実に生きたいと願いながら、時代の波に翻弄(ほんろう)されるジバゴ。仕事に情熱を燃やし、人を愛し、家族を持ち、ときに失敗もしてしまう。 そんな個人の自由を大切にできてこそ、国家ではないのか。いや国家と個人は相いれないのか。パステルナークの原作を映画化したこの作品は、バラライカの名曲「ラーラのテーマ」をバックに、名優たちの演技を通じて、重いメッセージを心に響かせてくれます。



 

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