エッセイ 銀幕 こころの旅



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銀幕 こころの旅

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◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」



無罪か有罪か

◆人生の数だけ価値観ある

中日新聞朝刊 2007.5.4


「裁きは終わりぬ」(1950年・フランス)
 国民から選ばれた裁判員が、裁判官と一緒に重大事件の審理にあたる。こんな「裁判員制度」が将来導入されます。「裁判員に選ばれたらどうしよう」と不安な人も多いのではないでしょうか。映画の世界でも、古くから「人が人を裁く」ことの難しさが描かれてきました。
 五十年以上前のフランス映画「裁きは終わりぬ」は、「安楽死」をめぐる陪審員たちの心を描いた作品です。
 被告は、薬学研究所の所長代理を務めるエルザ(クロード・ノリエ)。愛人のボードレモン所長を毒殺した容疑です。
 ボードレモンは喉頭(こうとう)がんで苦しんでおり、エルザは彼のたっての願いにこたえて、毒物を注射したことが裁判で明らかになります。一方で、彼女が莫大(ばくだい)な遺産の相続人になっていたこと、他に若い恋人がいたことも分かりました。 
 末期がん患者が「安らかな死」を願う気持ちを法律でどう保証するかは、難しい問題です。毒物を注射するという行為は今の日本ならもちろん有罪ですが、七人の陪審員たちはどう裁いたでしょうか。
 この映画のおもしろさは、理念よりも個々の人生が評決に影響することです。
 恋人と結婚したがっていた男性は、法廷でさわやかな弁舌を披露して恋人の両親に見直され、幸せな気分で「無罪」。働く女性や外国人に偏見を持っていた退役軍人は、「有罪」。女癖の悪い馬主も、女性蔑視(べっし)の価値観で「有罪」。夫を亡くした古物商はエルザに同情して「無罪」…。結果は四対三で有罪となり、エルザに懲役五年の判決が言い渡されました。
 日本の裁判員制度の導入は、国民の感覚が裁判に反映されるようにすること、国民の司法に対する理解を深めることを目的としています。でも、人生体験に裏打ちされた価値観はさまざまです。正しい「裁き」の形を、私たちの社会はずっと模索しているようです。





勇気をくれるもの

◆虐待を乗り越える支え

中日新聞朝刊 2007.5.11


「グッドウィル・ハンティング」(1997年、アメリカ)
  幼少期が不幸でも、周囲の支えで自立できる。そんなメッセージがすがすがしい青春映画「グッドウィル・ハンティング」を紹介しましょう。
 舞台はボストン。ウィル・ハンティングは、マサチューセッツ工科大学の清掃員ですが、実は数学の天才でした。ウィルは、幼児期に虐待を受けて、他人を信じられず、期待に背くことばかりしています。不良仲間のチャッキーたちだけが心を開く相手です。
 数学教授ランボーは、偶然にもウィルの才能を見いだします。傷害事件を起こしたウィルの身柄を預かり、研究への参加と週一回のセラピーを義務づけます。守らなければ刑務所行きです。ウィルは数学の歴史的難問をなんなく解いてランボーを驚嘆させますが、セラピストには議論をふっかけ、感情を逆なでして、治療を拒否します。
 ランボーは、友人の心理学者のショーン(ロビン・ウィリアムス)に協力を依頼しました。妻を亡くし生きがいを失っていたショーンは、ウィルの挑発や反発を乗り越え、心の氷を少しずつ解かしていきます。
 落ち着きが出てきたウィルに、医学生の恋人ができます。全米の名だたる企業から勧誘が殺到します。でも肝心のところで、相変わらず人を裏切ってばかり。そんなウィルにチャッキーは怒鳴ります。「お前は、おれたちにない物を持っているんだ。もし、お前がずっとこの街にいたら、おれが殺すぞ」
 ある日、ショーンはウィルの目を見て「君のせいじゃない」と連呼しました。笑っていたウィルの表情がゆがみ、子どものように涙を流してショーンに抱きつきました。人を信じられるようになったウィルは、自分の未来を探しに旅立ちます。
 善良な意志(グッドウィル)と引き抜き(ヘッドハンティング)を掛け合わせたこの作品、主演のマット・デイモンと、チャッキー役のベン・アフレックが共同で脚本を手がけ絶賛を浴びました。

 



みとりの中で

◆母の人生を受け入れる娘

中日新聞朝刊 2007.5.18


「眉山」(2007年・日本)
  東宝系で公開中の「眉山」を見ました。阿波おどりで有名な徳島が舞台です。東京で旅行会社に勤める娘・咲子(松嶋菜々子)は、母・龍子(宮本信子)の入院を知らされ、急きょ帰省します。
 女手一つで居酒屋を営み、咲子を育ててきた龍子。病室でも気丈すぎるその母の姿に、咲子はうんざりします。でも、担当医から「末期がん」だと告げられて、ぼうぜんとなった咲子は、看病する中で、死んだはずの父親が、存命であることを知ります。
 こっそりと会いに訪ねた父親は東京の下町の開業医でした。両親が不倫の仲だったことに咲子はショックを受けますが、父の故郷・徳島で懸命に自分を育ててくれた母に、いとおしさすら覚えます。
 これまで反発を感じていた母が、ふるさとが、咲子にはとても新鮮に感じられるのです。病院の小児科医(大沢たかお)とも恋に落ちます。そして、阿波おどりの夜、余命いくばくもない母を車いすに乗せて連れ出し、アイコンタクトでの父との再会を実現させるのです。
 といったストーリーなのですが、病院が舞台でありながら、医療に現実感がありません。がんの告知は娘・咲子にだけされたのに、母・龍子はとっくに知っていたという設定。末期がんなのに、龍子は肌の色つやも良く、張りのある義太夫の口上は、あまりにも不自然でした。
 地域の中核病院の看護師が、患者である龍子に説教され、「辞めます」とふてくされるのも不自然です。末期がんのケアに携わる医療従事者の使命感や苦悩が伝わらず、「献体」という龍子の崇高なリビングウィル(生前の意思)の持つ意味もぼやけました。
 珍しく辛口になりました。原作を読み、いい映画になりそうだと期待していたので、とても残念です。「マルタイの女」以来十年、夫・伊丹十三の死を乗り越えて健在ぶりを示した宮本信子の演技が、妙に際立った作品でした。





思春期

◆少年の純粋無垢な恋心

中日新聞朝刊 2007.5.25


「マレーナ」(2000年、イタリア・アメリカ合作)
 性に目覚める思春期の男の子は、年上の美しい女性に、淡いあこがれを抱くことがあります。「マレーナ」は、第二次世界大戦中のイタリア・シチリア島を舞台に、少年の心の成長を描いた作品です。
 人妻マレーナ(モニカ・ベルッチ)は、出征した夫の帰還を待ってつつましく暮らしています。でも、抜群の美人なので、男たちは欲望の視線を向け、女たちは嫉妬(しっと)心を隠して「あばずれ」と嫌悪します。
 十二歳のレナート(ジュゼッペ・スルファーロ)は、マレーナに一目ぼれします。家の壁穴からマレーナの姿をのぞいて、美女を救う騎士になった自分を夢想しています。勉強も手に付かなくなり、学校でも問題を起こしてばかりです。
 夫が戦死したという連絡が入るや否や、男たちはマレーナをものにしようと争います。レナートは大切な人を守りたい気持ちでいっぱいですが、何もできません。弁護士がマレーナを強引に愛人にしてしまった時も、レナートは無念の涙を流すばかりでした。
 戦火が広がる中、お金に困ったマレーナはドイツ軍将校の娼婦になります。連合軍によって解放された後は、米軍兵にもてあそばれ、あげく、島の女たちの怒りを買って激しいリンチを受け、町を追い出されます。そこへ戦死したはずの夫が帰ってきました。島の人たちの冷たい言葉に落ち込む夫に、レナートは匿名の手紙でマレーナの本心を伝え、夫婦のきずなを取り戻す手助けをするのです。レナートにとっての“騎士道”でした。
 思春期は情緒的にも不安定で、非現実的な恋愛感情を抱いたり、非行に走ることもあります。でも、大人が忘れてしまったものを持っているのも子どもたちです。ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、大人たちがムソリーニに熱狂したり、欲望や嫉妬から人を傷つけるさまを風刺しつつ、少年の純粋無垢(むく)な心を叙情豊かに描きました。名作「ニュー・シネマ・パラダイス」と同じ水脈を感じる作品です。





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