エッセイ 銀幕 こころの旅



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銀幕 こころの旅

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◆中日新聞連載エッセイ「銀幕こころの旅」



人生に大切なもの

◆権力や富では得られず

中日新聞朝刊 2007.6.1


「フローレス」(1999年、アメリカ)
 社会でバリバリ活躍してきた人が、孤独な初老期に突然、体の機能を損なってしまったら、どんなふうに生きればいいのでしょうか。中途障害の重いテーマを、明るく仕立てたのが、今週紹介する「フローレス」です。
 元警官のウォルト(ロバート・デ・ニーロ)は、妻と別れ、長期宿泊型の安ホテルで暮らしていました。現役時代に強盗事件を解決したときの勲章が心の支えです。別の部屋に住む女装ゲイのラスティー(フィリップ・シーモア・ホフマン)がいつも仲間と騒ぐので、腹を立てています。
 そのホテルに、マフィアの金を盗んだ男性が逃げ込み、明け方に殺し屋が乗り込んできました。発砲音で跳び起きたウォルトは現場に向かおうとして廊下で倒れました。脳卒中の発作でした。起きがけの急激な運動と緊張が、脳卒中につながるのは、医学的にもうなずける話です。
 一命は取り留めたものの右半身のまひと言語障害が残りました。一時は自殺も考えたウォルトでしたが、医師や旧友の励ましで、思い直します。歌を口ずさむのがリハビリになると知り、嫌いだったラスティーに渋々、指導を頼みます。
 「男は勇敢なヒーローであるべきだ」という哲学で生きてきたウォルトは、性転換手術を夢見るラスティーと意見が合うはずはなく、衝突を繰り返しました。でも、つらいことがあっても涙を隠して他人に尽くすラスティーの姿に、気高さを感じ、次第に友情がはぐくまれていきます。
 そのころ、マフィアはホテルの中で消えた金の行方を懸命に探し、ついにラスティーの部屋に目を付けました。クライマックスは、二人とマフィアの手に汗握る対決です。
 権力や富では得られないものは、かけがえのない仲間の思いやり。ウォルトは健康を失って弱者としての自分を受け入れ、人生に大切なものに気づくのです。

 



栄光と苦悩

◆薬物依存乗り越えて

中日新聞朝刊 2007.6.8


「Ray/レイ」(2004年、アメリカ)
  音楽ファンでなくても、レイ・チャールズという名前はご存じかと思います。アメリカを代表する黒人ミュージッシャンの一人。中途失明のハンディを背負いながら、ゴスペルとリズム&ブルースを融合させた独自の世界を打ち立て「ソウルの神様」と呼ばれました。その伝記映画「レイ」は、精神医学的にも興味深い作品です。
 無名時代のレイは、視覚障害であるためにギャラをごまかされたり、悪徳マネジャーに利用されたりしますが、彼は決して泣き寝入りをしません。激しいまでに自己主張し、自分の流儀を押し通します。代表曲「わが心のジョージア」がヒットした後も、差別に抗議して南部での公演をキャンセルし、故郷ジョージア州での活動禁止処分を受けます。
 妥協を許さないレイの心の中にいるのは、若くして亡くなった母親です。緑内障のために七歳で失明したレイは、母親から「目が見えなくても、自分の足で立て」と厳しくしつけられたのです。
 一方で、レイは愛を求め続ける人でした。美しい女性デラと結婚して子どもができた後も、次々に愛人をつくり、三角関係に振り回されたりしました。そして麻薬の常用者でした。デラから説得されても「音楽のために必要だ」と聞く耳を持ちません。
 彼は失明する直前に、弟を水の事故で亡くしており、弟を救えなかった罪悪感にずっと苦しめられてきました。水の幻覚にも襲われました。不倫や薬物依存も、その心の傷として描かれています。
 人気の絶頂で麻薬使用により逮捕され、彼は薬物依存の治療を受ける決心をします。薬物離脱を達成して、家族のきずなも取り戻した時、彼に生涯最高の日が訪れます。1979年、ジョージア州は、レイに対する活動禁止処分が誤りだったことを認めて謝罪し、「わが心のジョージア」を州歌に定めたのです。
 主演のジェイミー・フォックスは、身も心もレイ・チャールズになりきった演技で、アカデミー主演男優賞に輝きました。





残された時間

◆公務の原点とは

中日新聞朝刊 2007.6.15


「生きる」(1952年、日本)
  年金記録の不備問題で、社会保険庁と政府に非難ごうごうです。今も公務員は人気の高い就職先ですが、国民に仕える者の原点を説いた歴史的名作が、今回ご紹介する黒澤明監督の「生きる」です。
 志村喬が演じる市役所の市民課長・勘治は三十年無欠勤という超まじめ人間。妻を亡くし、息子の光男を男手一つで育ててきました。
 しかし体の不調を感じ病院にかかると、胃がんで余命いくばくもないことを知らされます。ショックのあまり初めて役所を欠勤します。
 その夜、勘治が家に帰って電気も付けずに居間に座っていると、外出先から帰ってきた息子夫婦が、父親に聞かれているとは知らず相談を始めます。勘治の退職金などを抵当にして家を建て、別居する計画でした。息子に裏切られた絶望感をかかえ、勘治は夜の町に出て、知り合った小説家と飲み歩き、散財しますが、心は晴れません。
 そんな時、彼の課にいる女性職員が辞職願を持ってきます。理由は「あんな退屈なところでは死んでしまいそう」。勘治は「ミイラ」と呼ばれて、三十年間の自分の仕事ぶりを初めて反省します。
 死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義で機械的にはんこを押してきた毎日。せめて、残りいくばくもない生命を、世の役に立つことにささげたいと、地域の児童公園づくりに情熱を注ぎます。
 歓楽街づくりをたくらんでいた街のボスや政治家の脅迫にも屈せず、縦割り主義の壁にも負けず、粘り強く仕事を進める勘治の生きざまは、次第に周囲を変えていきます。
 冬の夜、完成した公演のブランコで勘治が「命短し恋せよ乙女」(ゴンドラの唄)を口ずさむ名場面は、往年の映画ファンの心に焼き付いています。
 半世紀を経て、がん治療は進歩し、心理面のケアも充実してきました。その一方で、患者の自己決定はますます重要になっています。肝心なのは、命の長さではなく、充実した人生です。



 

老境の幸せ

◆家族の愛と信頼が大切

中日新聞朝刊 2007.6.22


「黄昏」(1981年、アメリカ)
  老夫婦と娘の葛藤(かっとう)と心のきずなを描いた「黄昏(たそがれ)」を紹介しましょう。
 アメリカ・ニューイングランドの湖のほとりに、サイヤー一家の別荘がありました。引退した大学教授ノーマン(ヘンリー・フォンダ)と妻エセル(キャサリン・ヘプバーン)が、今年も夏を過ごそうとやってきます。とても仲のいい夫婦ですが、もうすぐ八十歳を迎えるノーマンは心臓が悪く、物忘れもひどくなって、死への恐怖も増すばかりでした。
 ある日、一人娘のチェルシー(ジェーン・フォンダ)から手紙が届きます。ノーマンの誕生日を祝いに別荘に来るというのです。父と折り合いが悪く、疎遠だった娘がなぜ来るのか、その疑問は解けました。チェルシーは、シングルファーザーの歯科医師ビルとヨーロッパで結婚式を挙げる間、ビルの息子ビリーを預かってもらおうという魂胆だったのです。
 十三歳のビリーとノーマンは、ぎくしゃくしながらも、次第に打ち解けていきます。釣りに熱中するようになり、湖で遭難しかけたり…。ウォルターという大きな魚を釣り上げることが二人の目標になりました。
 式を挙げて別荘に戻ってきたチェルシーが目にしたのは、ウォルターを釣り上げて、得意満面のビリーの笑みでした。自分がビリーを大切にしていなかったことを感じ、同時にノーマンの愛情の深さが伝わってきました。
 「普通の父と娘のような関係になりたい。パパと仲良くなりたい」と、チェルシーは長年のわだかまりを捨て、素直な気持ちを語ります。湖畔の美しい自然の中、老夫婦の温かい愛情と、親子の溝が氷解していく過程が、涙を誘います。
 この映画はヘンリー・フォンダの遺作となりました。ジェーン・フォンダが、実生活でも深刻な葛藤があった父のために用意した作品です。この年のアカデミー賞授賞式で、病床の父ヘンリーに代わってジェーンが主演男優賞のオスカー像を受け取り「あなたの娘であることを誇りに思う」とスピーチしたエピソードは有名です。
 人生のたそがれ、老境の幸せを支えるのは、家族の信頼と愛情です。



 

自分史

◆まだ見ぬ子への贈り物

中日新聞朝刊 2007.6.29


「マイ・ライフ」(1993年、アメリカ)
 もし、あなたが末期がんで余命わずかと告知されたら、残りの日々をどう過ごしますか?映画「マイ・ライフ』では、限られた時間の中で、自分の人生の意味に気づいていく男をマイケル・キートンが演じました。
 主人公・ボブはロサンゼルスのPR会社の若手経営者。美しい妻ゲイル(ニコール・キッドマン)のおなかの中には子どもがいます。ただ、故郷デトロイトの父親とは不仲で、ロシア系の姓イバノビッチを嫌って、ジェームスと名乗っています。
 そんなボブが、腎臓がんで余命四ヶ月の宣告を受けました。西洋医学の医師から「なすすべなし」と言われ、中国人の気功治療師からは「怒りや恐怖をため込んでいる」と指摘されます。
 ボブは、二世へのメッセージをビデオに託すことを思い立ちます。
 自分の好きな音楽、子ども時代に熱中した遊び、ママを好きになったいきさつなどをビデオカメラに向かって語りかけます。生まれてくる子どもが物心ついたころに、どんなパパだったのかを知ってほしい、パパの人生から学んでほしい、と考えたのです。
 まだ見ぬ子に向けて自分を語る作業を通じ、不仲だった父に対する思いも次第に変わっていきました。弟の結婚式で久しぶりに故郷に帰り、父との関係を改善しようと努力しますが、お互いの意地っ張りが災いして、また口論に。
 それでも、息子の誕生に立ち会うことができたボブは、迫り来る死を前に、わだかまりを捨て、両親に「愛してる」の言葉とともに、自分の病状を告げます。
 駆けつけた父親が、ボブのために用意したのは、サーカスの野外ショーでした。遠い昔、親子関係がぎくしゃくする原因になったのが、サーカスだったことを、父も覚えていたのです。
 わが国では、毎年百万人が亡くなり、がんによる死者がその三分の一を占めています。緩和ケア病棟では、人間の尊厳を第一とする最期を迎えられるように、リビングウィル(生前の意思表示)を大切にしています。ボブのように、過去の苦悩を精算し、未来への贈り物を準備し終えて、安らかな最期を迎えられるといいですね。

 

 

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