愛知保険医新聞刊
「アミシュタッド」「ルーツ」など阿弗利加から米国に奴隷売買された人々の苦難を描いた作品が廿世紀にはあった。わが国も伯刺西爾移民や、満蒙開拓団という名の移民政策の歴史を持つ。十六世紀以後廿世紀まで世界を制覇した大英帝国が、恐るべき移民政策を実行していたことが暴露された。それは、児童を親から切り離して集団で、一万六千kmも離れた植民地に移民させたのである。十五年戦争の途上で、英国・豪州が大日本帝国陸軍に敗走したことも児童移民を加速させた一因との説もある。近代英国最大のスキャンダルともいわれる“児童移民”の事実を明らかにした、英国の社会福祉士マーガレットの物語。ある日マーガレットのもとに、豪州から一人の女性が訪れる。「母を探してほしい。幼い頃、船で豪州に送られた」と。マーガレットはその女性の訴えを契機に、驚くべき事実を突き止める。忌まわしい過去を暴露されるのを恐れる巨大組織に脅迫されながらも児童移民のために、母親捜しの活動を開始する。社会福祉士ならではの粘り強い調査活動が徐々に実を結ぶ。英国が四世紀にわたって1970年にいたるまで行っていた児童移民の数は実に十三万人。
この一人の社会福祉士の活動によって、英国政府、豪州政府は正式に謝罪したという。何歳になっても幼い頃の思慕の情を抱く対象は母親である。アイデンティティとは、ルーツとは、深い問題を投げかける作品だ。
愛知保険医新聞刊
伊勢湾台風の五千人の犠牲者の大半は南区の住民だった。その救援活動を契機に誕生したのが南医療生協である。室生昇医師が先駆となり半世紀、心ある医療スタッフ、組合員が集い、診療所から病院へ、そして天白川の川床よりも低い病院も、新幹線から見える大高の高台に移転新築を果たした。
この記録は、名古屋出身の映画製作者武重邦夫と小池征人監督の編修だが、主人公は六万人の無名の生協組合員だ。先駆的な保健・医療実績を上げたという訳でもない。市場原理主義に抗して、街並みを守った訳でもない。手厚くない医療、貧困な高齢者福祉という現実を前に、組合員の奉仕(ボランティア)活動が発現したのだ。全員参加の生活協同組合の形は会員の責任や労力も必要になるが、班会議での討議を重ねる中で、健康を守る意識が醸成されるのだから、非効率との評価は誤りだ。医療の消費者という受け身の立場から、望ましい医療を要求するという立場に変わる可能性を秘めた住民の登場にこの作品の最大の特徴がある。無策な行政を補完する歓迎すべき住民運動とも云えるが、長期的には行政のあり方を根底から変革する脅威の存在となるだろう。
イタリア映画「人生、ここにあり」は、労働協同組合で組合員の全会一致で経営を成り立たせて自立を促進する作品だった。愛知・南医療生協の足跡ではなく「奇跡」と評するには百年早い。
半世紀の間、南医療生協を支えた人々に敬意の念を込めて。
愛知保険医新聞刊
熟年離婚が流行の昨今、今春公開の映画「最高の人生をあなたと」は、セレブのアラカン世代向けの示唆に富む作品だ。
アラカン世代共通の心理でもあるが、自分の居場所を模索するメアリーを軽やかに演じるのは、イングリッド・バーグマンの娘・イザベラ・ロッセリーニ。夫アダム役には、「蜘蛛女のキッス」でオスカーを獲得し、鼻持ちならない医師が自ら病人となって初めて患者の痛みを知る「ドクター」を演じたウィリアム・ハート。
英吉利人の母と伊太利亜人の父を持つメアリーは、建築家として世界的な名声を博するアダムと、ロンドンの街で三十年に及ぶ結婚生活を送ってきた。三人の子供たちはすでに独立し、孫にも恵まれたメアリーは、突然彼女を襲う“記憶の空白”をきっかけに、夫婦の“老後”を考えたとき、ふとした疑問が心に芽生える。
「私の人生って何?」高級ブランドのドレスを身にまとい、ゴージャスに着飾っても、一向に晴れない。なぜなら皺もなく筋肉運動もシャープな若くて美しい娘たちには、外見も運動能力も明らかに劣るのだ。それが老いというものだが老いの受容が出来ず、自己発見の心の旅が続く。孤立と疎外に悩むメアリーと、若いスタッフとの美術館設計に情熱を燃やすアダム。円満だった夫婦の仲は裂け目と隔たりが強まり、会話すら成立しない。離婚寸前で、三人の子供たちがメアリーとアダムの絆の修復を試みる。メアリーの母親が逝去し、事態は急展開。死が二人を分かつ前にプッツンしそうな熟年夫婦には必見の作品だ。
愛知保険医新聞刊
「ピアノマニア」と題する今回の作品は、調律師の真骨頂を描いた作品だ。
バッハの≪フーガの技法≫の録音を一年後に控えたピアニスト・ピエールの期待に添うべく努力しているのは、調律師シュテファン。数々の名演奏家たちの要求に応えてきたシュテファンは、ピエールの目的に適うピアノを選び、試行錯誤を繰り返す。そしていよいよ録音の日がやってきた。本作に登場する名演奏家たちは九九・九%でも満足できない完全主義者なのだ。たとえばこのドキュメンタリーの軸となるピエールによる≪フーガの技法≫の録音。一台のピアノでオルガンやクラヴィコードのニュアンスが欲しいという要請に応じてピアノ選びから始まり、調律へと進むのだが、絶対音感を持ったレベルの人にしか分からない極微の調整が必須なのだ。完璧を求め、最後の0.1%に労を惜しまない人たちがカメラの前に映し出される。これが真の「マニア(熱中する人)」なのだろう。もっとも調律が完全でも演奏をとちると完璧にならない。マニアには躁病という精神医学的意味もあるが、躁病では注意が拡散し熱中性は成就しない。
スリーマイルやチェルノブイリの原発事故はオペレーターのミスが原因だった。手術ロボットによる失敗要因は、整備不良(調律)、操作過誤(術者)、手術一般でもあり得る病状急変(被術者)によるのか。医療にも通じる作品でもある。演奏ミスは人命には関わらないが手術はそうはいかない。とはいえ、医療無謬論もヒューマンエラーの現実とはかけ離れている。
愛知保険医新聞刊
人生は出会いと別れの繰り返し。最愛の人との死別に勝るストレスはないが、生別(離婚)も、その死別の四分の三近い心理的外傷をもたらす。結婚十四年で一人娘と父の四人で暮らしている夫婦に、重大な選択の時が訪れる。父の介護か娘の将来か。認知症に罹患した父のために国外移住はできないと主張する夫と離婚してでも国外移住を希望する妻。夫婦の絆は綻び、嫁は実家に帰る。
やむなく夫は家政婦を雇うが、イスラム教徒の家政婦は失禁を目にして激しく動揺。家政婦が目を離した隙に、認知症の父が徘徊し危うく車に轢かれそうになる。夫が帰宅するとベッドに手を縛られた父が倒れ、気を失っていた。戻ってきた家政婦に怒り心頭の夫は、彼女を手荒く追い出す。その晩、家政婦が入院したことを知って、夫婦で様子を見に行き流産の事実を知る。十九週目の胎児を殺した殺人罪で告訴され尋問を受けるはめに。一方、家政婦が父に行った虐待的行為を告訴。裁判は次第に多くの人々を巻き込んでゆく。家政婦の夫は失業中で、お金欲しさに示談に応じようとするが、家政婦は良心の呵責に悩む。中東の悲哀とムスリムの誠実さを淡々と描いた本作は、認知症の親の介護問題を除けば、先進国では理解されにくい。狭い地球上の話なので、生きる環境は異なっても人の悩みは変わらない。
本作は本年度アカデミー賞外国語映画賞を受賞(&ゴールデン・グローブ賞で外国語映画賞ダブル受賞)したイラン映画だ。イングリッド・バーグマン似の美人妻役はさりげなく作品を盛り上げている。
愛知保険医新聞刊
九・一一WTCの同時多発テロで全米・全世界は震撼した。南北戦争以後、大日本帝国による真珠湾奇襲を除いて米国本土での戦争による殺傷はなかった。ブッシュとブレアは、イスラム世界と非イスラム世界の対立の構図を仮想し「テロとの戦争」を口実にイラク侵攻を開始した。フセインを捕え殺害したが、結局大量破壊兵器は発見されなかった。ブッシュは「フセインを抹殺したのは正しかった。あのような人物であれば、大量破壊兵器を作ったに違いない」と根拠なき侵攻を正当化した。
二〇〇七年リバプールで、イラクで戦死した兵士フランキーの葬儀が行われた。その葬儀に参列した親友ファーガスは、戦死した当日、“大事な話がある”との伝言を受けていた。フランキーは、イラクで最も危険な地域“ルート・アイリッシュ”で車が炎上し、帰らぬ人になった。葬儀の場で知人から、フランキーの残した手紙と携帯電話を受け取ったファーガスは、携帯電話に保存されていた画像の翻訳をイラク出身のハリムに依頼。そこに映っていたのは、罪のない二人の少年が銃殺される場面で、撃ったのがイラクにいた兵士ネルソンだと知ったフランキーは激怒した。それを見たファーガスはフランキーの死に対して不信感を抱く。フランキーをイラク戦争に誘ったのは戦争ビジネス企業だった。女子供の命を奪った戦争犯罪を徹底究明するファーガスの執念は、人間の尊厳を貫こうとする良心と同志愛であった。
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