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Dr.TOYOAKI MUROHARA's
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室原 豊明 先生

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日々の出来事

2013年3月6日

東京マラソン2013 顛末記

 走りたくて応募してもなかなか当たらないものですが、「まあダメだろうけど一応出しておくか」くらいのつもりで出してみたら、昨年の秋頃になって東京マラソン2013の当選の通知が来ました。10倍もの難関に当たってしまった驚きと、本当に走れるだろうかという不安感が同時に襲って来ました。まあ、フルマラソンは過去6回出ていますし、昨年の夏には4年ぶりの富士山登頂も果たしておりましたので、ここは「前向きに」と週末を中心に練習をこなしてきました。

           

 2013年2月24日、いよいよ本番。昨年の京都マラソン以来約1年ぶりです。風が強く寒いながらも、快晴の絶好のコンディションのもと大会が開催されました。巨人ファンでもないのに「G」区画に並ぶ私は、都庁ビルの影になってしまい、猪瀬新知事の挨拶や紙吹雪を見ることもできず、いよいよ9時10分の号砲と花火の音を聞きました。辺りは拍手の渦ですが、当然全く動きません。スタートゲートをくぐるまでに約15分弱かかりました。

           

 しかしいつもは絶対に通れない東京の車道を、両脇からの応援を聞きながらの走行は非常に気持ちのよいものです。多くの方が声援やハイタッチをしてくれます。特にお子さん方のハイタッチには出来るだけ応えるように走りました。 新宿からしばらくは、ゆっくりとした下り坂なので楽です。その後、時々走る皇居を右手に見ながら日比谷公園までで約10キロ、強いビル風の中を進んで品川の折り返し辺りが約15キロ、また日比谷辺りまで戻って来てハーフ(21キロ)となります。ここからが正念場です。日頃の練習でもなかなか20キロ以上は走れないので、「未知の領域」に入って行きます。タイムではなく完走(歩)が目的の私は、各関門の制限時間よりも1時間半くらいの余裕のあるペースで走りました。そして華の銀座、金融の兜町などを経て、快晴の中のスカイツリーを右手に見ながら、浅草寺雷門まで。たくさんのランナーもここで休憩かたがた写真を撮ったりしています。なにせ10年に1度当たるか当たらないかの確率ですので、デジカメかスマホを持っているランナーがほとんどの様です。再度銀座に戻ってからは最後の10キロ近く。ここがきつかったのですが、強風の中をなんとか有明まで着きました。終わってみたら平凡なタイムでしたが、私としては事故など無く完走できたことで満足です。ここ4ヶ月間の練習が報われた感じでした。

2012年5月25日

金環日食

 2012年05月21日の金環日食はご覧になりましたか?私の撮った写真を掲載します。real 指輪ではありませんが、これぞ天空の貴重な指輪です。

           

2012年5月25日

私のジョギングコース

週末によく行くジョギングコースです。 写真だけででも自然を感じていただけたら幸いです。

2011年1月14日

奈良マラソン

 2010年12月5日、快晴の絶好のコンディションのもと奈良マラソンに参加してきました。今回は比較的近場という事で、最初から親しみやすかった大会です。名古屋から近鉄電車でのんびりと奈良入りしました。「せんと君」でおなじみの奈良1300年祭には行っておりませんでしたので、今回が1300年祭兼マラソンということになりました。現実は景観を楽しむ余裕などはあまりなく、コースは思ったよりもアップダウンがきつく(特に奈良-天理間の往復)、脚が大変疲れました。それでも中学生時代に、修学旅行でクラス集合写真を撮った場所を偶然走り、大変懐かしかったです。30キロ過ぎペースダウンはいつもの事で、なかなか思うようにタイムは伸びませんでしたが、まあこれまでの平均的なタイムは出せたので次回に期待です。途中忌野清志郎さん(そっくりさん)がCDと自前の唄で応援してくれました(往路も復路も)。またQちゃんこと高橋尚子さんがフィニッシュ付近で応援して下さり、ハイタッチできました。他にも沿道の皆さん応援本当にありがとうございました。


2010年11月10日

金沢

 学会(地方会)で金沢に行ってきました。紅葉がどうかと期待して行きましたが、やや早かったようです。それでも2日目の朝に兼六園/金沢城を走ってきました。一部の街路樹の紅葉が綺麗でしたので、写真を撮ってきました。兼六園の木々も雪つりをしてもらって、冬本番に備えているようです。

2010年08月10日

御在所岳登山

 7月19日、今年も医局の有志で、登山ハイキングを行いました。救援を呼ばなくても良いような「無理なく登山」ということで、今年は三重県鈴鹿山麓の御在所岳を選びました。ロープウェイを使えば難なく登れる山ですが、ここはハイキングなのでふもとから登ります。途中はなかなか急な岩の斜面もあり、両手を使わないと怖い所もありましたが、一番驚いたのは土石流の跡でした。比較的新鮮な土石流の跡で、間違いなく今年のものと思われ、山小屋が1軒つぶされていました。巨大な岩と泥が無数に流れて来ており、あらためて自然の怖さが身にしみました。急峻な岩山が豪雨によって壊されるとこのような事になるのか、、、と本当に驚きでした。3時間ほどで頂上まで辿り着くと、すでにトンボが飛び秋の景色さながらでした。途中霧も出て来て、「天然のミストクーラー」で皆、しばし涼みました。野生のトンボや蝶が指にとまってくれたのには、驚きました。

頂上からの眺望

清水君と大橋君

2010年08月10日

大学時代の英語の恩師との再会

 熊本で大学テニス部の 「OB研究会」があり出席して来ました。その翌日の7月11日日曜日に、私の大学生時代の英語の恩師であられた、Professor. Paul Griesy 先生の南阿蘇のお宅でバーベキューパーティーがあるとの連絡をいただき、早速出席して来ました。私の内面で英語(英会話)に大きな変化が起きたのは、高校の担任であられた西先生、大学でのGriesy 先生との出会い、それにGriesy 先生主催の2ヶ月間のアメリカ横断ツアー、そして後年4年間留学した時でしょう。英語の発音法の根本を基礎から教えていただいたGriesy 先生との出会いは、私にとって大きな財産でした。Griesy 先生のすばらしさはこれだけではなく、大学2年の夏休み2ヶ月間、希望する学生をアメリカ横断ツアーに連れて行っていただける事でした。先生は毎年100名くらいの熊本大学を中心とした学生を10班くらいに分け、異なるルートで米国を横断させ、ホームステイなどによって生のアメリカ社会を体験する機会をあたえてくださいました。このときの旅行で私は多いに刺激を受け、海外で一度は仕事をしてみたいと思うようになり、結果的に留学につながりました。

           

 さてこの日は1980年のツアー参加者を中心に男女15名ほどが集まり、Griesy 先生を囲んでBBQパーティーが開催されました。30年ぶりにお会いしたGriesy 先生は確かに老いられましたが、昔のままの教育者であられました。皆、再度発音をしっかりとチェックされました。また「ライフワークは英語教育だ」とはっきりとおっしゃられました。喜寿を迎えられるGriesy 先生のお宅は本当にすばらしく、移築改装されたというお家は先生ならではのアイディアがたくさん詰まった、南阿蘇の風が通り抜ける広い空間でした。先生はのべ2000名くらいの学生をツアーに送り出されたそうで、今でも各学生のツアー申込書(写真付き)が残されており、私たちは自分たちのそれを30年ぶりに見て「今との変わり様」に爆笑しました。この会を企画し、声をかけていただきました、同級生の中園先生ご夫妻(2列目と3列目右端)に感謝申し上げます。

グリーシー先生と仲間たち 胸に張っているステッカーは名札です。

2010年6月9日

1年半ぶりの42.195

 1年半ぶりのフルマラソンを走って参りました。2010年6月6日の「千歳JAL国際マラソン」に参加しました。今年は30回の記念大会とのことで、参加者もこれまでで一番多かったようです。昨年は雨だったそうですが、今年は快晴の絶好のコンディションで暑くもなく、新緑・白樺林・千歳川など大変奇麗なコースでした。なんと野生の鹿を見た人もいたそうです。多くの大会ボランティアの皆様、給水所やエイドステーションにおられた皆様、終盤川沿いでバーバキュー(ジンギスカン)しながら応援していただいた地元の皆様、ありがとうございました。

           

 タイムは残念ながら、またしても5時間を切れず、おまけに前回よりもやや遅い記録でした。前半23キロまでの緩やかな上り坂で、かなり脚にきてしまい、最後は筋肉がつりそうで悲惨でした。 今回はトレーニング不足、ということで、またいつの日か次回に向けて頑張りたいと思います。

大会スナップショットから

2009年10月16日

上海に行って参りました。

 2009年10月、仕事で上海に行って参りました。私が久留米大学医学部時代に来ていた中国人留学生が、現在向こうの大学でラボを持つようになり、学生講義と研究の打ち合わせに行きました。上海の街の急激な発展と新旧混在にはいつも驚きます。車の激増と街中の大規模な工事とで、大変埃っぽい環境でした。呼吸器系が弱い方はしばらくは行かない方が賢明かもしれません。夜には眼が痛くなり、鼻を拭うと紙が黒くなりました。車とバイクが人の間を縫うように走り、人と自転車が車の間を縫うように飛び出して来ます。タクシーに乗っていて、何度も思わず叫びました。日本の交通常識は全く当てはまりませんので、歩いていて交通事故に遭わないようにするだけで気を遣いました。中国の自動車を早くハイブリッドや電気自動車に変えないと、将来の環境が大変なことになりそうです。

上海 現在世界で一番高いビルとのこと

2009年9月30日

伊吹山登山に行きました。

 2009年8月にラボの有志数名で「伊吹山」登山に行って来ました。私を含む3名が1合目から、残りのメンバーは3合目からの参加でした。休みを入れて合計4時間ほどで頂上へ。気分爽快でした。頂上のバラックのような食堂で皆で昼食をとり、ごろっと昼寝。この山は車でも9合目まで登れますので、こちらが頂上にやっと着いて息切れしていても、すぐ横をよちよち歩きの幼児が歩いている、といった異種な光景もみられます(笑)。400年余り前には天下分け目の「関ヶ原の戦」も見下ろした伊吹山に登って、ひととき「歴史の妙」を空想体験しました。

  

伊吹山山頂で 余裕の笑顔

2009年9月30日

しばらく更新をしておりませんでした。

 しばらくトピックスを更新しておりませんでした。さて、2008年12月に、少しお休みをいただきまして念願のフルマラソン参加の夢を実現する事が出来ました。朝5時に花火とともにスタート。前半はあいにくの雨でしたが、ちょうど5時間ほどでなんとか完走出来ました。30キロ過ぎから脚・関節のひどい痛みで急遽ペースダウン。最後は歩くのも、とても大変でした(学生の時は大丈夫だったのに)。この制限時間のない大会には、仮装ランナーもたくさん登場し、おおいに楽しませてくれました。家内が10キロ部門に出場しましたが、私が42キロ帰ってくるのをゴールで待っていてくれました。「同志」の友達もたくさんできましたし、周辺の住民の方々の差し入れや、多くのボランテイアの方々の協力で大会が可能である事を現地で改めて感じた、すべてが感動の体験となりました。

大会スナップショットから

2008年10月7日

2008年9月7日に富士山に登りました。

 外国人の友人を含む8人のパーティーで、日帰り登頂成功。「お鉢回り」のおまけも付きましたが、これがとても辛かったです。

富士山頂、剣が峰  かなりグロッキー
徳島大佐田教授・中村Dr.、Boston Univ. Ken Walsh教授らと 当科から大橋、嶋野Drs.

2008年10月1日

わたしの趣味

 目下、フルマラソン初挑戦に向けて調整中です。休日はジョギングをしたり出来るだけ外に出て外界の刺激を受けるようにしています。 時間があれば読書も。