昨年4月に、「痛み治療の人間学」(朝日新聞出版)を、今年の5月に、「痛みの力」(海竜社)を上梓しました。両書とも痛みの治療について、私どもの30年以上の経験、学問的蓄積から詳述したものです。痛みに関する本はいろいろ出ていますが、類書と異なるのは、従来の痛み治療の考え方と多少異なるところがあることだと思います。
従来、痛みの治療というと、鎮痛消炎剤、神経ブロック、抗うつ剤、抗けいれん剤などの薬物療法が主で、そこに、鍼灸マッサージ、リハビリテーションなどの補助療法が加わるのが一般的でした。
それでよくなってくれれば、あえて言うことはないのですが、現実にはそれではよくならない患者さんがたくさんいるのです。
その結果、多くの患者さんがクスリ漬けになってしまっている現実があります。つい先日も、36種類のクスリと12種類のサプリメントを服用している方がいて驚きました。
さらに、患者さんのドクターショッピングは著しいものです。病歴を聴くと、34の病院を回ったという患者さんがいました。しかし、そのことは決して珍しいことではなく、多くの患者さんがそうなのです。
こうした慢性の痛みの患者さんには、いくつもの共通点があります。
1.まず、自分の痛みがなんなのか、いくら病院を巡っても原因がわからない。多くが、器質的疾患にその原因を求めようとする。
2.痛みさえ治してもらえればよいというような依存的な気持ちが強い。
3.なかなか原因を見つけられない医師に対し、不信感を感じ、さらに強い怒りを潜在させている。にもかかわらず、医師に頼らなければならないという現実に直面している。こうしたアンビバレンツから脱却できない。
それぞれについて、解説してみましょう。
1のために、患者さんは多くの検査を受けることになります。レントゲン、CT、MRIなどです。これらの多くは、器質的疾患を見出すための方法です。器質的疾患とは、ガンなどのように、病理学的に観て明らかな病態を指します。一方、多くの慢性疼痛疾患は、機能的疾患です。現代医学は器質的疾患の診断に強いのですが、機能的疾患の診断の方法は多くありません。従って、多くの痛み疾患は現代医学の盲点にあるのです。機能的疾患の積極的診には、東洋医学や心身医学、自律神経学的方法を導入しなくてはいけません。
2は最も重要です。私は、慢性の痛みは、「生き様の歪み」が原因と考えています。患者さんは、固有の身体(からだ)・心理(こころ)・社会(環境)・実存(固有の生きる意味)的生き様を有しています。すなわち、患者さんは、生活者です。その視点が重要です。長く生きていると人生にはさまざまなバイアスが加わります。それが、結果的に生きざまの歪みになります。生き様を変えられるのは本人だけです。先ず、患者さん本人がその歪みに気づき、それを治したいという気持ちになったときに、初めて可能になるのです。
3は深刻な問題です。初診で外来に来た患者さんは皆、怒りを潜在させています。顔はにこやかでも心の中には、怒りがあります。だから、一寸した医療職との行き違いで憤ることがあるのです。前医への怒りを溜めて、私どもの外来を受診し、怒りをぶつける人も少なくありません。怒りの処理は難しい・・・。
本文の頭に書いた2冊の痛みの本は、慢性の痛みに苦しむ患者さんに、患者さんがどう向き合ったらよいかを解説しました。先ず、患者さんに学習していただきたいのです。
自ら治す痛み、痛み治療の智慧があることを知っていただきたい、そういう思いでしたためました。
生命がこの地上に誕生したのは38億年前といわれます。まず、ウイルスのような生物が発生し、その後、植物が誕生し、その後動物が地上を徘徊するようになりました。もっとも進化した生物として直立二足歩行する人類の祖が出現したのは、3千年前であり、ホモサピエンス(新人)の出現は、100万年前であります。
生物は、その間、地球という星の環境に適応するため、さまざまな生体調節機構を構築し、その結果が、進化の中に観られます。その間、適応と進歩のため、生体の調節機構も大きく変貌しました。
生体の調節機構には、古くから、自律神経系、内分泌系、免疫系が知られています。しかし、それだけでは生体のホメオスタシス機構は全て説明できない臨床例に時々遭遇してきました。
強い太陽の光に曝された地球上の植物はその光と水と空気中の炭酸ガスにより光合成を行ってきました。光合成により、澱粉が創られ、そこから様々な有機合成が始まりました。しかし、太陽の強い光は、生命を創ることに貢献する一方、強力な酸化作用も有します。ここから生命の二律背反性が始まります。すなわち、生と死、成長と老化といった二律背反的な問題は生命の本質を語っています。
生物としての人間は、動物機能に加え、植物機能も内在しています。その一つが酸化バランス防御系ではないでしょうか。大気の中の酸素は鼻から呼吸により生体に入り、肺から血液に混入します。酸素は血管を通り、60兆の全細胞に行き渡り、細胞にあるミトコンドリアのなかのTCAサイクル(クエン酸回路)でブドウ糖を燃やし、ATP(アデノシン3リン酸)を産生します。このATPが元気の素です。
しかし、鼻から呼吸で生体に入った酸素のうち5%は、スーパーオキサイドとなり、生体に悪さをします。動脈硬化を作ったり、ガン細胞を発生させたりします。すなわち、この悪玉酸素を酸化ストレスと言います。老化のメカニズムも酸化ストレスに原因があります。
酸化バランス防御系は、地球上の有酸素反応により生命を維持する全ての生物にとり、必須の防衛手段です。生命には、幾多の抗酸化物質が内在しています。のみならず、経口摂取する多くの食材に抗酸化物質が入っています。野菜、魚、肉の中には多くの抗酸化物質が含まれています。
最近になり、生体の酸化バランス防御系が測定できるようになりました。イタリアで開発されたFRAS4(Free Radical Analytical System 4, H & D社、輸入元Wismerll社)という機器がそれです。私たちは乏しい研究費をやりくりしてこの機器を導入し、測定を行っています(保険適応にはなっていません。したがって、無償で行っています)。その機器での測定は、d-ROM test (reactive oxygen metabolites)とBAP test: biological antioxidant potentialから成り立ち、私たちは、修正BAP/d-ROM比(修正比)を算出します。d-ROM test値は酸化ストレスを現し、BAP test 値は生体が有している抗酸化力を示し、修正比は、潜在的抗酸化能を示します。
さまざまな病気の方達の酸化バランス防御系を測定してみました。線維筋痛症のような慢性の痛みの患者さんでは、いくら検査しても異常がないとよく言われます。しかし、酸化バランス防御系には異常が観られます。線維筋痛症では、酸化ストレスが高く、潜在的抗酸化能が低下しています。この検査は、ガンの患者さんの早期発見にも役立ちそうです。
私たちは現代医学に加え、東洋医学や心身医学を導入した統合医療や全人的医療を導入して久しいのですが、漢方薬や鍼を早くから用いています。
漢方薬を使っている患者さんたちは、酸化ストレスが少なく、抗酸化力が高く、潜在的抗酸化能が高く維持されていました。漢方薬そのものに強い抗酸化力があることもわかりました。
では、鍼はどうでしょうか。
鍼を131例の患者さんに実施し、その酸化バランス防御系を評価してみました。その結果、鍼は酸化ストレスを有意に低下させ、潜在的抗酸化能を上昇させました。
すなわち、漢方薬や鍼などの東洋医学は酸化バランス防御系に直接的にポジティブな影響を与えることが明確になりました。この結果は、東洋医学がアンチエージングや健康回復の方法として使われることの大きな理由になるでしょう。
東洋の智恵は地球上に生きる生命に対し、それを守る方法としての意味があると位置づけできましょう。
PTSD (post traumatic stress disorder; 外傷後ストレス障害)や線維筋痛症に悩む患者は我が国にも多数います。私たちはこうした患者さんへの治療的アプローチとして温泉療法を開発しています。私が浜松に住んでいた頃は、その郊外にある館山寺温泉で試行錯誤の中で実践していました。今は、大阪の汐の宮温泉病院にて実践しています。
こうした温泉を治療の場にした治療法がいかにでき上がったか話しましょう。
【温泉地の病院で】
今から20年以上前の事ですが、私はある大学病院の医局からの派遣で、深い山間にある病院に赴任しました。心療内科の医長としてでしたが、そこは野戦病院のように忙しく、多発する脳梗塞の患者さんの治療に翻弄されていました。一方、心療内科としても全国から多くの患者さんが集まり、スタッフ一同朝早くから夜遅くまで働き詰めていました。
その病院には幸いな事に、院内に温泉が湧いており、職員や患者が自由に使えました。しかし、他の医師はあまり関心を持たず、放置されていました。それを知った私は、すでに温泉療法医の資格を取っていましたので、入院患者に、「あなたは1日2回、午前と午後、1回10分ずつ入って下さい。」などと温泉処方をしていました。これがたいへん好評で、我々医師が特段、心理療法などしなくとも、温泉療法だけで患者さんはよくなり、退院して行ってくれました。温泉療法では、食欲の昂進、豊かな睡眠などQOLを高める効果がたいへんよく認められました。
なかには、ガン末期と言われた患者さん(83歳の上咽頭ガンのお婆ちゃん)が、温泉療養で食欲が昂進し、体重が増えて元気に退院するなど、思わぬ症例も経験しました。この患者さんは専門医に予後3ヶ月と言われていましたが、8年半も生き抜き、しかも高いQOLを維持しました。
私は、その病院には3年いましたが、後で考えると温泉の効果がたいへん大きかった事に気づかされました。
【温泉ロゴセラピーの開発】
後に、私は、浜松医科大学附属病院に移りましたが、そこで早速、近所に温泉はないか探しました。幸い、館山寺温泉があり、そこの温泉宿の女将と親しくなり、そこで温泉療法を行うようになりました。主に慢性疼痛、ことに線維筋痛症の患者さんを対象にしました。
線維筋痛症は全国に200万人はいます。難治性の痛みに苦しみ、多くがクスリ浸け医療のなかで助けを求めています。彼らは多くの心理社会的問題を有しています。私は、線維筋痛症を2つのタイプに分けています。心身症型と神経症型です。
私が心身症型と読んでいる患者群は、主に周囲への過剰適応がその原因です。一方、神経症型と呼んでいる患者は、何らかの大きなトラウマ(虐待歴など)を抱え、言わばPTSDの患者さんであります。こうした患者さんに対しては、クスリだけで対応できるわけがありません。患者さん固有の生きざま、過去の忌まわしい記憶が関係しているからです。患者さんという人間の生きざまを変えるくらい困難なことはありません。
一方、過剰適応が問題になる心身症型の線維筋痛症は、単なる温泉療法だけで充分よくなります。しかし、PTSDの絡んだ神経症型の線維筋痛症はそう簡単には行きません。
そこで、温泉療養に心理療法を加える事を考えました。それも、体験的な実存療法(実存分析:logotherapy and existential analysis)でないと効果がないと思いました。試行錯誤の末、「温泉ロゴセラピー」を開発しました。実存分析とは、ビクトール・フランクル博士(Frankl, V.E.:1905〜1997)により開発された心理療法です。
フランクルの主張では、人間は、動物と人間共通の心理(動物性・衝動性)より、もっと高い次元の「精神」機能を発現させることにより、自らの自由意志に基づいた責任のある決断を行い、人生の意味や、価値を追求しうる存在、すなわち、「意味への意志」を発動することのできる存在と見ます。フランクルは「意味への意志」の「発動」にこそ人間の価値があるとします。意味は、自ら決断することによってのみ、満足されます。治療者である医師やセラピストは患者さんの精神性を刺激して目覚めさすのがその役割です。我々は、人間の実存性こそが、全人的医療の核であると考えています。
もちろん失敗した例もありますが、劇的な効果を示した例もありました。
温泉ロゴセラピーの経験を重ねてゆくうちに面白い事に気づきました。「湯あたり」です。実は、湯あたりの強い患者ほど、予後がよいという事に気づきました。
ここで言う予後とは社会復帰の程度から考えました。温泉ロゴセラピーの治療1年後、社会復帰できている患者は、予後良好、できていない患者は、予後不良としました。対象となった34例のうち、約6割が予後良好でした。全体の82%に湯あたりが観られましたが、湯あたりの強いほど、予後がよく、このことは驚きでした。
【湯あたりと脳のリセット】
温泉ロゴセラピーは以下のように行います。
温泉という「非日常」の場で、患者さんは療養を始めます。私たちは、「入湯以外、何もしない事」を指示します。1日の終わりに、簡単な書式に従って、毎日、日記をつけます。その後、湯あたりを過ぎた頃から散策、軽体操、趣味をする事を許可します。その間、必要に応じ、ライフレビュー(生涯の回顧)を行います。その間に、鍼やマッサージのような手技療法、また、カタルシスを狙った音楽療法なども付け加えます。血行動態の測定や、脳波、心拍変動のスペルトル解析、酸化バランス防御系の測定などの検査は週に1回行います。治療期間は約4週間です。
ところで、湯あたりの強い人ほど予後がよいのはどうしてでしょうか、疑問でした。それまで、「湯あたり」という現象は温泉療法の副作用としてとらえられていました。温泉療養期間中の脳波と心拍変動のスペルトル解析を行ってみました。その結果、湯あたりの時には、自律神経の嵐(交感神経系も副交感神経系も大きく乱れる)が起こり、それを乗り切る時から脳波にθ波やδ波が増加してゆきます。このことから、湯あたりは座禅や東洋的瞑想時に観られる「魔境」現象と同一であることに気づきました。
魔境とは、釈尊が悟りを啓く為、沙羅双樹の木の下で断食し、瞑想を続けていると、美女がおいしそうな食べ物を持って現れたり、美女が誘ったりする現象です。すなわち、人間の潜在していた本能や記憶が急速に顕在化する現象です。釈尊は魔境を乗り越え、悟りを得ました。悟りとは真の自分の生きる道を見出す事です。すなわち、自らの生きる意味を見出し、それに向けて行動化する(発動する)ことです。
温泉は、非日常の場です。温かい温泉に浸かる事は胎内回帰(たらちねの母の胎内に戻る)にも似た体験(場)です。安全で安心して、リラックスして居られる場です。そうした環境下で、患者は急激に依存性が高まります。そこで起こるのが湯あたりです。
こうした体験は一方で、大いなるカタルシスにもなります。それまでトラウマにとらわれていた脳の記憶が、誕生時の白紙の状態に戻ります。湯あたりの時、脳波に現れたθ波やδ波は、脳がASC(altered state of consciousness; 変性意識状態;脳の最もフレッシュな状態)に戻った事を示します。座禅や瞑想で禅定に入った時、脳波はθ波やδ波優位になります。すなわち、この時、脳のリセットが行われたと考えられます。患者さんはその白紙になった自分の脳というキャンバスに新しい人生を自由に書き込んでゆくことができます。そこに治療者の実存分析的アプローチが効果を現します。
湯あたりにはこうした強い積極的な意味があると言えます。
この現象を文献学的に探ってゆくと、6世紀の僧、智顗(ちぎ;538−597)の著した「天台小止観」に行き着きます。その書物のなかで、智顗は瞑想が深まると魔境が起こることが記し、それを乗り切るには「優れた指導者」が必要と述べています。
温泉療養では、患者さんの治療者への依存性が急速に高まります。多くが陽性転移(患者さんにとって、治療者が必要不可欠な存在として映ること)を起こします。こうしたなかから治療者がいかに患者さんを自律性へと誘導するかが難しい点です。治療者としての資質が試されます。だから、温泉ロゴセラピーを目指す医師は、充分な教育分析(治療者に成るための精神分析)が為されないといけません。豊かな治療的自我(therapeutic self)が形成されていないといけません。治療的自我とは、治療者としての人格であり、医学教育上は「態度」(情意領域; affective domain)であり、バリントの言葉を借りれば、「医師というクスリ(doctor as a medicine)」の薬理作用とも言えましょう。
温泉ロゴセラピーの難しさはそこにあります。実際、私たちの失敗例もそこに起因していました。いかに優れた治療者(医師・看護師・薬剤師・鍼灸師・PT・OTなど)を養成するかが問題です。医学教育の充実が望まれます
残念なことに、こうしたことは現状の医学教育には望むべきもありません。私たちはこの問題に取り組もうとしています。
【温泉療養の多様性】
一方、温泉療養には多様性があります。温泉ロゴセラピーとして成功しなくても、運動療法としての温泉療養、リラクセーション療法としての温泉療養、単なる療養としての温泉療養は充分に効果が期待できます。患者のニード、動機付け、治療者-患者関係などを考慮に入れながら、温泉療養を行う目的を個別に設定する必要がありましょう。
私たちの経験でも、心身症型の線維筋痛症にはPTSD的問題はないので、単なるリラクセーションとしての温泉療法だけで充分よくなりました。
大阪にある「汐の宮温泉病院」の理事長、秦忠世先生のお世話で、私たちは今年の春から汐の宮温泉病院(院長:真木修一)で温泉ロゴセラピーも含めた温泉療法を実践できるようになっています。旅館ではなく、病院でできるという事には多くのメリットがあります。
適応と限界をわきまえながら、温泉療法・温泉ロゴセラピーの研究をしてゆきたいと思っております。